蝶屋敷のまかないさん
嘴平伊之助
蝶屋敷に滞在する隊士の食事を作りながら伊之助と恋に落ちる夢話。屋敷の女の子たちとにこにこふわふわ、伊之助と甘酸っぱいお話が中心です。
目次
本編
2019.09.06
蝶屋敷に滞在する隊士の食事を作りながら伊之助と恋に落ちる夢話。屋敷の女の子たちとにこにこふわふわ、伊之助と甘酸っぱいお話が中心です。
2019.09.06
「もう具合はいいのかよ」
「すっかり良いです。ありがとうございます」
私が臥せっていた昨日は店屋物だったはずだ。何を食べたのか尋ねると「天ぷら蕎麦と天丼」と見事に偏っていた。きっと他の隊士も似たようなものだろう。好きな物ばかり食べられる幸せもわかるので「美味しかったですか?」と尋ねると伊之助さんは、うーんと首をひねった。
「味気なかった。量も少ねえし。お前の作った飯の方がいい」
何とも嬉しいことを言ってくれる。最上級の褒め言葉だ。笑顔で礼を言うと、答える代わりのように無言で脱いだ猪の頭の下から覗いた顔は少し赤くなっていた。
「…見舞い、行けなくて悪かった」
後ろめたそうだけれども、来れなかった理由が胡蝶様にきつく止められていたからなのは知っていた。首を振って背伸びをし顔を近づける。
「心配させて、ごめんなさい」
頬に口づけようとしたが、ぐるりと顔が回って唇が重なった。すぐに離されたが、その一瞬で私の体温は具合が悪かった時よりも引き上がった気がした。
「血鬼術にやられた」と言う伊之助さんは見上げるほど大きい。その背丈で猪の皮を被られると怖い、と思ってしまった。後ずさりした私を追おうとしたのか、台所の入り口の低くなっているところに勢いよく頭をぶつけてひっくり返ってしまう。だいぶ背が伸びているのだから勝手が違ってしまうのも無理もない。駆け寄って傷の具合を見ようと猪の皮を外してやる。
出てきた顔は美しさはそのままに精悍さに磨きがかかっていて見惚れてしまった。通った鼻筋も彫りの深い目元も成人男性そのものだ。
「…なんか今日はすげえ美味そうだな」
「ひゃっ…!」
唐突に手を取られて、ぱくりと指を食まれて変な声が出た。柔らかく温かい舌が私の指先をなぞり、かり、と歯で軽く爪を噛まれる。あまりの事態に固まるがお構いなしに音を立てて吸われながら口腔の奥に誘われ、舌が絡みついて関節をなぞった。はくはくと口を動かすことしかできない私に見せつけるかのように、にやりと笑う。
羞恥と混乱で体がふらりと傾くと「はい、そこまで」といつの間にか傍にいた胡蝶様に肩を支えられた。
「本気で、出禁にしますよ」
にこやかながら物騒な言葉を向けられて、大人の姿の伊之助さんは子どものように顔を歪めてチッと舌打ちをした。
声をかけられ振り返り、体が強張った。見上げるような体躯と整ってはいるが目の奥が笑っていないように思えるその顔は多少風体が変わっても忘れようがない。
「ここがお前の持ち場か」
音柱は珍しそうに台所を見回す。天井に頭をぶつけそうだ。大声を出して追い返したいが恐らく胡蝶様の客だろう。先日の出来事を思い返しながらも平静を装う。
「…御案内いたしましょうか」
「いや、お前の顔を見に来た」
ちょっと暇が出来てな、と言うが暇潰しに使われたこちらはたまったものではない。抗議の言葉を飲み込んでいると、ずいと顔を近づけられた。
「前にも思ったがお前は眼差しがいいな。強い目をしている」
見透かすような視線に後ろ暗いことは何もないのに思わず後ずさる。からからと笑い「悪い悪い」と明るく謝られた。
「猪と懇ろにな」
ぽんぽんと頭を優しく叩かれて表へと戻っていくその背中を見送る。風が吹いて左側の着物の袖の、二の腕から下がぺしゃりと潰れた。驚いて目を見張ったが音柱様は振り返らない。
嫌がるアオイちゃん達を拐かそうとした上、任務から戻って来た伊之助さんは瀕死の容態だった。
作業台にいつの間にか置かれた小さな菓子に、本当はもっと何か話したいことがあったのではと思ったが、その姿は角を曲がって視界から消えてしまった。
また来ている。物陰に隠れて様子を見守る。
台所の外にある木の下で何かを手伝っているようだ。二人は時折会話をかわし、ふわふわと笑い合う。微笑ましい光景だった。
折に触れて手が出てしまうのが気になるが伊之助君の情操教育にはいいかと、よっぽど行き過ぎない限りは目を瞑っていた。何より根気がなく訓練だろうが先が見えないとすぐ投げ出してしまうのに、あの子の細かい作業には辛抱強く付き合っている。恋の力は偉大だ、とつい口元が緩んでしまう。
ふと素直になれず眉を釣り上げる顔とそれを見守る穏やかな笑顔が、かつての私と姉に重なった。健気なあの子に理不尽な惜別の悲しみが訪れないよう伊之助君には強くなってもらわないと。
「何をしているのですか?」
「胡蝶様!」
声をかけると、栗の皮を剥いていました、と手を開いて見せてくる。
「伊之助さんのお陰で今夜は栗ご飯が沢山炊けそうです」
「俺は山の主だからな!こんなのは朝飯前だ!」
嬉しそうに笑う向こうで伊之助君が胸を張る。この子の周りはいつも暖かい。つかの間の平穏に浸った。
「ひゃああ」
伊之助さんは立ちはだかる木々の間を躊躇なくすり抜けていく。あまりの速さに自分でも聞いたことのない声が出た。途中顔を出した鹿が驚いたように木の後ろに引っ込み逃げていった。背中から振り落とされないように目を閉じてその首に必死にしがみつく。
「着いたぞ」
ふいに頬に当たる風が落ち着き、声に目を開けると木々が開けた先に満点の星空が広がる。
「すごい!」
思わず手を伸ばすと伊之助さんが背負い直してくれた。更に視線が高くなる。今にも届きそうだ。
「こんなのが嬉しいのか」
腹の足しにはならねぇし俺は毎日見ている、と伊之助さんらしい物言いに笑いだしてしまった。
「伊之助さんが見せてくれたから嬉しいんですよ」
そう言うと照れたように「変なやつ」と言って顔をそらしてしまう。嬉しくて愛しくて、背負われたまま首にぎゅうと抱きついた。
硝子玉がどんぐりの形をしていて驚いた。本物よりもつやつやしている。思わず見入っていると横から覗いた善逸が「まかないさんに買って行ってやれよ」と口を出してきた。
「どうせ花とか食べ物とか形に残らないものばっかあげてるんだろ」
自分だって花ばかりやってるくせに、訳知り顔で「女の子は装飾品を喜ぶからね」とほざいた。無視しても良かったが一理あるかと思い留まる。女がぴかぴかしたものを好むのは何となくわかっていたからだ。
髪飾りにすることを勧められたが、いつも布を被っているのでそれには首を振り、秋の紅葉のような赤い紐を通してもらう。
屋敷に帰って差し出すと、ぱっと笑った。透けた黄金色の向こう側に笑顔が映っている。やっぱり花や食い物よりこういうものがいいのか。そう聞くと「いつもの贈り物もとっても嬉しいですよ」とまた笑う。
「でもこれならずっと伊之助さんと一緒にいるみたいで素敵だなって」
首にかけて嬉しそうに着物の下に忍ばせる。白い肌に赤い紐はよく映えた。
天気が良いので台所のすぐ外にある木陰に座って絹さやの筋取りをしていると、横に黒い影が落ちてきた。伊之助さんは被っていた猪の皮を脱ぎ捨てると「ん」と私の膝を指すので作業に使っていた器をどかす。そうして空いた場所にごろりと横になって目を閉じた。
手持ち無沙汰になってしまったので空を仰ぎ、流れる雲の数を数えていると下から「おい」と声をかけられた。見ると翡翠色の綺麗な瞳がぱちりと開かれている。
「何も聞かないのかよ」
「単純に、お疲れなのかなと」
何かありましたか、と続けたけれど答えてはくれなかった。暫くすると私の膝に頭を乗せたまま腰に手を回され、ぎゅううと腹に顔を埋められる。
「よっしゃぁぁ!」
突然大声を出して飛び起きると猪の皮を被り直して「邪魔したな」と言い、あっという間に去って行った。ぽかんとして首を傾げるが、確かめる術がないので大人しく器を引き寄せて作業を再開する。
遠くで修行に励む隊士達の掛け声が聞こえる。きっと伊之助さんの声も混じっているのだろうと耳を澄ませた。
Posted on 2019.11.26
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