糸師兄弟の幼馴染

糸師冴

海外について来て欲しい24歳と社会人なりたての22歳の幼馴染。一時帰国をきっかけにやっと始まる恋の駆け引きの夢話。

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目次

本編

高校生編

冴→18歳、幼馴染→高校生16歳です。

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Platina

入籍直前の早朝に二人で故郷の海を見に行く話。【冴:26歳/夢主:24歳】

時刻は午前六時になろうとしていた。春分を越えた時節のため、夜の時間は徐々に短くなってはいるが、実家の近所の町並みはまだ薄青く陰って見えた。門灯の点いた一軒家やアパートの立ち並ぶ通りは週末の早朝らしくしんと寝静まっており、私以外に歩く人の姿はない。

海沿いの山を切り開いて造設された住宅地の傾斜を海につき当たるまで下った。そしてコンクリートで固められた足場に南面して立ち、慣れ親しんだ相模湾の景色がベールを脱ぐかのように明るくなっていくのを眺めていた。 

「…眠れなかったのかよ」

穏やかな朝の海に相応しく、潜めた声音にふり返る。声をかけてきたのは冴ちゃんだった。

私を追ってここに来るために着替えたのか寝間着代わりなのかは定かではないが、上下揃いのジャージにクラシカルなデザインのロングコートを羽織り、寒そうに首を竦めている。ちぐはぐな恰好なのに姿がよく、様になっているのが不思議だった。

「ううん。むしろ久々の実家だったせいか、よく寝過ぎて目が覚めちゃったみたい。冴ちゃんこそひどい顔色。昨夜はうちのお父さんと遅くまで飲んだの?適当に切り上げてよかったのに…」
「お前の親父さんをあしらえるほど俺は人間ができちゃいねぇ。あんなに歓迎されて断れるか」

冴ちゃんの言葉が意外で、平時よりも青白い顔をまじまじと見返してしまった。

(記者会見でも自信たっぷりで自分のペースを崩さない冴ちゃんがお父さんの誘いを断れなかったなんて、そんな馬鹿な…まさか昨日やたらとにこにこしていたのは緊張してたってこと…?)

朝起きた時に客間のドアが閉まっていたのと玄関に冴ちゃんの靴が揃えて置いてあったのとで、晩酌が長引いた流れで私の実家に一泊したのは察していたが、それを特異なことだと思わなかったのが急に申し訳なくなった。普段とは打って変わって行儀がよく、にこやかで会話にそつがないのも最初だけで、そのうち地が出るだろうと呑気に考えていたのが恥ずかしい。ここにきて彼の不器用な一面を新たに知り、引き締まる思いがした。

「お父さんにつき合わせてごめんね」
「別につき合うのは構わねーよ。…割と、楽しかったし」

そう言いながら凍てつく夜明けの風を受けて、ぶるりと体を震わせる。慌てて駆け寄り、自分のマフラーを解いて首元に巻いてやった。額にかかる前髪をふわふわと揺らす冴ちゃんはされるがままで、お酒のせいでいつもの調子が出ないのか珍しくしおらしい。

向かい合った瞳の底に、ふいにひらめく碧い炎を見つけてどきりとする。思い返してみれば、スペインに行くことを告げられたのも、降りしきる雪の中で痛み分けのキスをされたのもこの場所だった。その危うくも私を惹きつけてやまない燐光のはらむ衝動が、今度は何を意味するのか。

「冴ちゃん…?」

魅入られて動けずにいる中、冴ちゃんは冷たい指でそっと私の頬を撫でて再び口を開いた。

「…俺とあっちに行ったらしばらくこんな機会はねぇんだから、面倒くさがらずにちゃんと相手してやれ。親父さん、お前の話ばっかりしてたぞ」

棘はないが、自分よりずっと小さな子どもに言い聞かせるような大人びた口調だった。黙って立ちつくしていると顎を掴まれ、鋭いまなざしが心の内を覗きこもうとしてくる。

それがお節介だと思わずにいられたのは、その言葉や表情から親身になってくれていることがひしひしと伝わるからだ。昨夜の父との語らいはよほど彼の胸を打つものだったらしい。

「…面倒くさいんじゃなくて、しんみりするのが嫌なの。私がヨーロッパに移住したところで二度と会えなくなるわけじゃないし、冴ちゃんと⁠⁠こうしてやってこれたんだから、きっとお父さんとも大丈夫だよ」
「親心を軽んじるな。ここまで大事に育てた娘が嫁入りと同時に海外なんて、不安に思わない方がどうかしている」

はっと我に返り、顔に触れた冴ちゃんの手を温めるつもりで両手で握り返し、きっぱりと言い切ってみせた。しかし冴ちゃんは楽観的な返答が気にくわないらしい。苦もなくふり解いてみせると、むっつりとして私を追い越し、ふるさとの景色を眺め始めた。

真紅の朝焼けは瞬く間に金と白へと移ろい、淡い逆光となって大きな背中を濃く暗い影の中に落としている。その後ろ姿は不屈ながらもどこか寂しく見えた。

(冴ちゃんなりに私達親子の仲を取り持とうとしている。以前は自分一人で先を切り開いて行くことばかりだったのに、今は私や私の家族のことも考えてくれているんだ…)

昔から変わることのないぶっきらぼうな口ぶりや仕草の端々から、彼の胸中を察するのは大して難しい作業ではなかった。

「発つまでにお父さんと話をしてみる。心配してくれてありがとう」
「…おう」

その思いやりをひしひしと感じてうれしいような照れくさいような、くすぐったい気持ちが湧き上がってくる。場の空気に相応しくないので(叱られるかも)とも思ったが、こらえきれず「ふふ」と続けて笑いが漏れた。冴ちゃんは驚いた様子で「何だよ」と軽く眉をしかめてこちらをふり返る。

「冴ちゃんってばこういうのは苦手なはずなのに、頑張って気をまわすくらい私のことが好きなんだ」
「あ?こうしてはるばる会いに来ているし指輪もやっただろうが」
「そうだけど、一回も言われたことがないもの。でも別にそれが不服ってわけじゃなくてね…」
「好きだ、バカ。ガキの頃からずーっと、な…今さらすぎて言うのを忘れていただけだ。これで満足…」

その言葉を最後まで聞く前に、瞬間的に顔に血が上り、初春の早朝の外気をものともせず、吹き出すような勢いで肌が火照るのを感じていた。冴ちゃんがこの類のことを臆面もなく口にするとは思っていなかったのだ。恐らく頬も耳もこれ以上ないくらい赤くなっているだろう。

探るような瞳にとっくりと観察されていることに気がついて、慌ててコートの袖で顔を隠した。結婚を目前に控え、熱をこめた誓いも交わしているのに、純朴で率直な告白がこうも胸に迫るとは思いもよらないことだった。

「…お前の方はどうなんだよ。俺にだけ言わせるのはフェアじゃねぇだろ」

ジャリ、と靴底とコンクリート面が擦れる音がして冴ちゃんがこちらに近づく気配がある。すぐ目の前で足を止め、私が何か言うのをじっと待っている様子だ。

塞いだ視界の中でしばらく言葉が出てこず口を開け閉めするが、逃げ出す機会はとうに逸していた。顔を覆った腕の隙間からそっと覗くと、比類なく完璧に仕上がった容姿にそぐわず、きらきらと子どもじみた無邪気な興味を浮かべているのが見える。

(絶対に面白がってる…)

糸師冴ほどの人物が私の拙い求愛に何故これほどまでに執着を見せるのか。困惑しながらも悪い気はしない自分がいた。決して人に懐かない野生の獣と心を通わせた気分だった。

「…私もきっかけを思い出せないくらい昔から、ずーっと冴ちゃんのことが好きだよ。これからは毎日一緒にいられるなんて夢の中にいるみたい…わっ、ちょっと!もう…」

ふいに冴ちゃんの大きな手が伸びてきて、ぐしゃぐしゃと私の髪をかき乱すようにして、めちゃくちゃに頭を撫でられた。そしてペットのような扱いを受けてふくれる私に、いたずらっぽく微かに口元を緩め、勝ち誇った表情をしてみせ、無言で脇を通り過ぎて実家の方へと歩み去って行く。

その背中を追いながら、本当は抱きしめてくれるのを期待していたことに気がついた。(二人きりなのだからもう少し甘くなってもいいのでは)と考えるが、相変わらず全く平然としていて、こうして後ろについて焦がれているだけでは叶わないことを窺わせた。

ふり返るのを待つのを潔く諦めて「えい」とはずみをつけて左腕にしがみつく。冴ちゃんは身じろぎもせずに受け止めると、私がぶら下がっているのが当たり前のことのように難なく坂道を登り始めた。

「今日は糸師家かあ。小さい頃からよく知っているのに改めて挨拶ってなると変な感じ…凛はもう着いてるのかな。婚姻届の証人の件、返事は素っ気なかったけど一応了承してくれたんだよね?」
「来てんじゃねーの。あいつは一度頷いたら這ってでも成し遂げるヤツだからな」

凛のことを話題に出しても冴ちゃんは動じなかった。無造作に返事をし、坂の途中にある邸宅の高い塀の上から道路にはみ出した庭木を、のんびりと見上げていた。

つられて見ると、むき出しの桜の細枝に若草色の蕾が点々とふくらみ、春の訪れを待ち侘びている。この桜の様子も含めて、今日の出来事をいつまでも覚えていようと思った。これから始まる一日は後でどこを切り出しても、かけがえのない場面で埋め尽くされるだろう。その確かな予感が胸にあった。

「そろそろ行くぞ。俺んちに向かうのが遅くなる」

桜に気を取られていつの間にか足が止まっていた。私がぼんやりと耽っているのがわかると、冴ちゃんは傍らでおもむろに口を開いて先を促す。

「うん。急ごう…」

頷いて天を仰いだまま顔をふり向けた時には、背を屈め、濃いまつ毛に縁取られた澄んだ瞳が目前まで近づいていた。

頭上には春の気配があるものの、足元はまだ冬らしくひんやりとしている。そうして身を寄せ合っているのが心地いいことに気がつきながら、瞼を閉じてキスを迎え入れた。

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