納戸から出てきた女性の着物を広げた。葛籠はもう何年も開けられていなかったのだろう。蓋を取ると、ぷんと黴臭い。その割に簪などの小物も箱に仕分けられ丁寧に仕舞われていたので、大切なものなのでは、と親切心から手入れをすることにした。
縁側に点々と品を並べる。若い娘向けの意匠は華やかで長く使われていたのか所々繕われていた。義勇さんの家族の物だろうか。それとも、もっと大切な人の。着物の一枚を手に取りながら、私の知らない過去の彼に思いを巡らせる。
お互いの過去を口にしたことはない。聞かないから言わない。この家の不文律のお陰で私は立ち止まることなく今日を生きていける。
「おはようございま─」
ふと影が落ちたのに気づき、振り返り際に義勇さんの顔を見て一瞬で後悔が私を襲った。勝手知ったる家とはいえ、踏み込んではいけない領域は明確にあったのだと遅ればせながら悟る。義勇さんは無言でそれらの品々をかき集めると両手に抱え、廊下を少し進むとぴたりと歩みを止めた。
「貴女には関係のない品だ」
静かな声音だったが、私には思い切り張り手を打たれたような衝撃だった。廊下の角を曲がるのを見送り、やっと息を吐く。
ついこの間、初めて口づけを交わしたことで想いが通じたと勘違いをしていたのかもしれない。出会ったばかりの頃のような隔たりを感じたが、私には傷ついて泣く資格はないのだ。爪で手のひらが痛くなるほど拳を握り、涙をこらえた。
***
自室で蔦子姉さんの残した品々を見つめる。血の付いたものや欠けたり壊れたりしたものは避けたからどれも生前使っていたままだ。「義勇」と呼ぶ優しい声を思い出す。あっという間に泣いて蹲るだけの惨めな自分に引き戻される気がして頭を強く振った。
こういう時は現在のことを考えるに限る。血反吐を吐くような修行と、世の為人の為と鬼をひたすら狩り続ける日々。悲しみと憎しみを殺し続けることに限界を感じると息の仕方を思い出すかのようにこの家に帰る。俺を迎える彼女の笑顔、温もり、柔らかさ─ぱちんと泡が弾けるように我に返った。失ったものの上に着実に積み上げてきた今の自分を取り戻す。
目を開けて蔦子姉さんの品を手に取るが、もう感情に呑まれることはなかった。ほっと息を吐く。
着物に鼻を近づけると日干しの途中を攫ってきたせいか内側に少し黴臭さが残っていた。取っておくだけで放置し、手入れを怠るとはいかにも自分らしかった。
同時に、いくら我を失っていたとはいえ先刻の態度はあまりに酷かったと後悔の念に駆られる。せめて一言謝ろうと家の中を探すと、台所の作業台の前に座り、もやしの根を取り除いているのを見つけた。
日が高くなり家の北側にある台所は暗い。そのせいか黙々と作業をこなす横顔が寂しく見える。声をかけようと口を開きかけたがそれよりも早く、ぱっとこちらに顔が向いた。一瞬瞳が揺れるのがわかったが、それを上塗りするように穏やかに微笑む。
「もう少ししたらお昼ご飯にしましょう」
その顔を見て彼女も日常を取り戻すのに必死になっているのだと悟った。何事もなかったようにこの会話に応じるべきなのか、それとも先刻の出来事を持ち出すべきなのか。判断に迷って言葉を失う俺に構わず席を立ち、背を向けて竃の前で何やら作業を始める背を見つめる。
こういう問題は後になればなるほど言い出しにくくなり、やがて拗れると経験上わかっていた。それでも無言で立ち尽くす。
「…私はどうするべきなのでしょうか」
ふいに、ぽつりと彼女が言葉を漏らした。愛想が尽きた、暫く暇をもらいたい、出て行く─その先の言葉はいくらでも想像できた。思わず肩を掴む。
「行くな。俺が悪かった」
勢いでするりと謝罪の言葉が出た。対して、きょとんと見返される。
「私が言ったのは納戸の整理を続けていいのか、ということなのですが…」
聞いていませんでしたか、と首を傾げられた。あまりの思い違いに頭を抱えていると、困ったように笑った顔のまま言葉を続けた。
「先程の事でしたら謝るべきは義勇さんのお家なのに許可なく暴いた私の方です」
申し訳ございませんでした、と深々と頭を下げられる。真摯ながらも、この話を早く仕舞いにしてしまいたいという姿勢が見て取れて戸惑った。
「違うんだ。その…俺の話を聞いて欲しい」
絞り出した言葉は自尊心の欠片も感じられない嘆願だ。情けない、呆れられても仕方がないと落ち込むが、向かい合った瞳は零れ落ちそうなほど見開かれ煌めいていた。奥ゆかしい彼女には珍しく、そっと俺の手を握ってくる。
「是非お聞きしたいです」
小さな手を握り返すとじんわりと二人の体温が交じり合う。心が繋がったような気がしたが、すぐにそれは錯覚だと思い直した。目を背けたくなる過去への哀愁も貴女といることで満たされるこの瞬間への感謝も、口にしなければ伝わらない。
何から話そうか。今日は鴉の声がしないから恐らく時間はたっぷりあるだろう。目の前の彼女は言葉を探す俺をいつものように辛抱強く待ってくれていた。
リクエスト:義勇さんが何気ない一言で夢主を傷つけてしまい落ち込む夢主に必死に謝る