暗い台所に俺のために作り置かれた握り飯や煮物が机に並べられていたが、自分で明かりを点ける気になれずそのまま通り過ぎた。
彼女がいないだけで家全体が寒々しく感じる。居間も廊下もしんとして落ち着かない。雨戸を開けぼんやりと白んでいく空を見上げた。
戻りは夕方になると言っていたか。暗い家の中を振り返ると居ても立ってもいられなくなった。
***
「一人でお留守番もできないんですか?」
「…たまたま近くを通っただけだ」
胡蝶の屋敷の近くにあるカステラ屋の袋を掲げた。胡蝶は禄に見もせず「はいはい」と言って奥に向かう。
「稀血だからといってそんなに過保護になる必要はないのでは。暗ぁいお屋敷で一人冨岡さんの帰りを待つだけなんて可哀想です」
「俺の屋敷は」
暗くない。少なくとも彼女が来てからは。最後まで聞かずに、ぷいと胡蝶は奥に消えた。一人残された玄関に俺の声が虚しく響く。
さすがにわざとらしかったか。それとも土産と称してこの屋敷の人間の分も買って来たのだが数が足りなかったのだろうか。機嫌を損ねる理由を思案していると、ぱたぱたと軽い足音が響く。
「お待たせいたしました」
支度を終えた彼女が忙しなく走ってきた。息を整えるとぱっと笑う。
「おかえりなさい、義勇さん」
それは俺の台詞だろう。何故か胸が締めつけられて何も言えなくなる。思わず手を伸ばすと、ずいと胡蝶が割り込んできた。
「お手伝いして頂くだけになり本っ当に残念です。今度はゆっっっくり、お茶をしましょうね」
ありがとうございます、と微笑むのを胡蝶の肩越しに見た。次回は一緒に料理を、それなら薬膳を教えてください、と華やかな歓談は続く。伸ばしたままの右手を下ろす頃、会話を切り上げる気配があった。
「そろそろお返ししないと冨岡さんに怒られてしまいそう」
ちらりとこちらを振り返り胡蝶はくすくすと笑う。
「甘えん坊の御主人を持つと大変ですね」
***
「言ってくだされば買って帰りましたのに」
隣を歩きながら不思議そうに見上げてくる。そんなにカステラがお好きだなんて知りませんでした、となおも続けるが特段好きなわけではない。
「…好きなのは貴女だ」
つい口をついて本音が出た。先程の「甘えられているなんてとんでもない」という返答への違和感。一日と不在になるのが耐えられないほど依存している現実と、彼女の認識とのくい違いが引っ掛かっていた故の告白だった。
歩みを止めた俺を振り返る彼女との間に風が吹く。少し恥ずかしそうに、ふわりと柔らかく笑った顔に心が浮きたち、今度こそ触れようと手を伸ばす。
「よくご存知で」
予想外の返答にぴたりと動きを止めた。
「ザラメ、蜂蜜、和三盆。どれも大好きでつい食べすぎてしまうので控えているほどで、最近は抹茶を練り込んだものが気になっているのですが…義勇さん?」
カステラの話ではない。自分の額に手を当て俯くと、具合が悪いのですか?と心配そうに覗き込まれる。不安げに揺れる瞳に自分が映っているを見て「勢いだけで動くのは止そう」と思い直した。明日を約束できないこの身を彼女に背負わせる覚悟があるのか、実は未だに整理がついていないのだ。
「………何でもない」
迷い続ける俺を許してくれるだろうか。無邪気にカステラの袋を覗き込む横顔を見つめた。