御影玲王の従兄妹
凪誠士郎
好きな子にはやたら積極的な凪くんと、玲王の従兄妹の恋話。マイペースな凪くんに振り回されます。
※夢主は玲王と同い年の“いとこ”ですが、玲王がリードする関係性なので敢えて「従兄妹」という表記にしています。
【R18】コンテンツについてはこちらをお読みください。
目次
2024.04.28
2024.05.17
2024.06.07
2025.03.22
2025.03.22
好きな子にはやたら積極的な凪くんと、玲王の従兄妹の恋話。マイペースな凪くんに振り回されます。
※夢主は玲王と同い年の“いとこ”ですが、玲王がリードする関係性なので敢えて「従兄妹」という表記にしています。
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2025.03.22
2025.03.22
夢主に別れを切り出されたことをきっかけに変わっていく関係と変わらない気持ちの話。
1.
俺、御影玲王には同い年の従兄妹がいる。
野心家の多い一族の中では珍しくのんびりとした性格の女の子で、親父達はそれはもう手放しで溺愛している。俺は過剰な愛情に辟易しているが、あいつは平気らしく多感な時期を迎えてからも不満はないようだ。
そうして気心の知れたコミュニティで蝶よ花よと育てられたお陰か家族以外の異性への苦手意識が強い。それは俺の男友達に対しても一環していた。
唯一例外なのは凪だけで、曰く「昔飼っていた犬に似ていて親近感が湧く」らしい。記憶にある白い毛並みの大型犬は確かに大人しく寝てばかりいたが、それは老衰のためだ。十七歳の男子高校生が同質であるはずがないだろうと言いそびれたまま、二人はめでたく恋仲になり今日に至る。
*
(二人が上手くいくかは五分五分だと踏んでいた。凪の方が面倒くさがって自然消滅すらあり得ると思っていた。それがせっかくここまで続いたのに…こんな終わり方はあんまりだろ)
ホテルのティールームの椅子は滑らかなベルベット織りで座り心地がよかったが、それを堪能する余裕はとてもなかった。同じホールの一角でテーブルにつき、話し込む凪と従兄妹をじっと観察する。二人に気づかれないよう離れた席をとったので会話は聞こえないが、深刻な様子であることは俯き加減で察せられた。
『あのね、玲王。凪くんと別れようと思うの─』
ガタ、と椅子を引く音に、唐突に回想から引き戻された。席を立った凪が逃げるように店を後にするところだった。
「凪に言えたのか」
「玲王。来てたんだ」
こっそりついて来たのにこちらを振り向いた従兄妹はそれほど驚いてはいなかった。口調と声音は明るく、ほとんど中身の減っていない凪のグラスをテーブルの端へと退かし俺の場所を空ける。店員がそれを下げる間も楚々として自分のティーカップに口をつけていた。
「どーなんだよ」
「うん。『終わりにしよう』って言えたよ。びっくりしてたけど最後は納得してくれた。凪くんは来週からイギリスだし、きっと私のことなんてすぐ…」
「子どもができたことは?間違いなく凪との子なんだろ?ちゃんと話したのかよ」
はぐらかす気配を感じ、直裁に尋ねた。いつもなら威勢よく言い返してくるところだが、細い肩がびくりと震え瞳にみるみる涙が溜まる。そのまま溢れて一筋が頬を伝い、拭う間もなくテーブルクロスに滴った。
「…言えなかった。凪くんの反応が怖くて、私…、」
「な、泣くなよ。ただの確認だ。責めてねぇから、泣くな。よく頑張った。これで先のことを考えられるもんな」
「うん…ありがとう」
泣き顔は見慣れている筈なのに、柄にもなく俺は動揺した。「凪と別れる」と打ち明けた当時からの気丈さが意外にも脆くあっさりと崩れたのもある。差し出したハンカチで目元を押さえて落ち着くのを待つ間ずっと心臓がばくばく鳴っていた。
(妊娠させたのは俺じゃねーのに、すげー気まずい…)
しかし怯んでもいられなかった。凪に知らせなかった以上、これからのことはこちらで判断せざるを得ない。泣き止むのを見計らって切り出した。
「本当に産むんだな?後で気が変わっても簡単には覆せないぞ」
「わかってる。玲王に話した時点で覚悟は決めてた」
赤くなった目を瞬かせハンカチを下ろすと決心したように両手で握りしめる。
「まずは大学を卒業して就職は玲王のお父さんに相談する。縁故採用が嫌とか言ってる場合じゃないもの。めそめそするのはこれで最後。この子には私しかいないんだから、しっかりしなきゃ」
(…本気なんだな)
甘えた考えを捨てる意思の強さを思い知り、急に実感が湧いてきた。この場について来てなお穏便に別れることができるのか半信半疑だったのだ。
むしろ全てを明かして凪を引き留めるのを期待していた。今イギリス行きのキャリアを棒に振ったところで凪ならきっと巻き返せる─そんな人任せで不確実な未来ではなく、自力で何とかすることを選んだ従兄妹は俺が思うよりも大人に見えた。
「…重そうだから半分持ってやるよ」
「え?バッグに大したものは入ってないけど…」
「そういう意味じゃねーよ、馬鹿…って、胎教に悪いな。こういう言葉は」
従兄妹とはいえ今回の件は他人事だ。それなのに深く立ち入る決意を固めたことに気づいてもらえず、つい監獄仕込みの荒っぽい言葉遣いが口にのぼる。
少々きょとんとした従兄妹は注文し直したコーヒーカップが運ばれてきた頃にようやく聞き返してきた。
「どういうこと?」
「子育てを手伝うってことだよ。っつーか親父達がはりきらない筈がねぇし。『私しかいない』とか気負わないで厚意には甘えとけよ」
2.
「別れたいって…何で。俺が君を日本に置いてイギリスに行くから?」
「それだけじゃないよ。とにかく、凪くんの事情に振り回されるのはもう沢山なの」
あの日、カフェの片隅で向かい合った彼女には俺への怒りも嫌悪もなく、むしろ平静だった。でもその分、揺るがない覚悟ときっぱりとした拒絶を感じた。
「終わりにしよう。それが一番凪くんの…お互いの為になると思う」
全て決まったような言い方だった。そっと縁の薄いティーカップをソーサーの上に置き、他人行儀で大人びた微笑みを浮かべる。
珍しく外で待ち合わせたのは二度と二人きりで会うことはないという決意の表れなのだとその時に初めて気づいた。言い返す余地もなく一方的に置いてきぼりにされる侘しさをやっと理解できたのもこの時だった。
「…わかった。今までありがとう」
「うん。こちらこそありがとう」
か細く「ごめんなさい」と付け加えるのを背中で聞いた。これ以上場に留まっていると余計なことを言ってしまいそうで、それには答えずに急いで店を後にした。
気がつくと最寄り駅とは反対方向に来ていた。特に予定もないのでそのまま通り沿いにふらっと歩き出す。
(あー…どうせ来週からイギリスだし、別れても別れなくても会えないのは変わらないのに…結構ダメージでかい。俺、落ち込んでるんだ…)
すっかり甘えて頼りにしていたと自覚させられた。高校で出会ってから六年経つ。今さら物理的な距離は問題にならないと高をくくっていたツケなのかもしれない。
背中を丸め下を向いて歩いていると、ふいにぱたりと丸い濡れ染みが靴の先に落ちた。予報よりも早く降り出した雨はみるみるアスファルトの表面を埋め尽くす。都会のビル郡に切り取られた灰色の空はどんよりと厚い雲に覆われていてしばらく止みそうにない。
(今日はマジでついていないや。でも走るの、めんどくさい…)
髪や服が濡れるのを不快に思いながらも雨を避ける気力は湧かず、ここ久しく覚えることのなかった投げやりな気持ちで交差点の信号が青になるのを待った。
*
君が強引に魔法を解いたせいで俺の恋は呪いに転じた。心の整理はつかず、秒針は二年前のあの瞬間からずっと止まっている。
(我ながら未練がましい…)
「よっ、凪!どうよ、二年ぶりの日本の空気は」
「玲王。来てくれたんだ」
空港の入国ゲートを通り、ロビーに繋がる最初のガラス扉をくぐると前方から声をかけられた。二年ぶりに目にする御影コーポレーションの社長でありサッカー選手でもある玲王の姿がそこにあった。
イギリスから帰国する旨を伝えた以上、玲王が俺を出迎えるのは不思議でも何でもない。それでもどきりと心臓が鳴る。無意識に視線が泳ぎ、隣の誰かを探してしまう─
「…何で玲王が俺にそっくりな子どもを連れてるの」
そうして近づきながら、はたと目にとまったのは玲王の腕に大事そうに抱えられている赤ん坊だった。背中を丸め玲王の胸に頭を預けてジャケットの袖にしがみつき、立ち止まった俺を不思議そうに見上げてくる。綿毛のようなふわふわのくせっ毛も眠たげな瞼も、何もかも俺に瓜二つだった。
「母親が『戸籍上の父親は空白のまま育てる』って聞かないから身内が総出でお節介しててさ。今日はママが会社の間は俺がお守り役で、散歩ついでに凪に会いに来たってわけ」
「…ちょっと待って。そんないっぺんにインストールできない」
「じゃあラウンジに行こうぜ。俺も久々に凪と話したいし、続けて移動するより楽だろ。ジュニアも初めての空港で疲れちゃったよなー?」
「ジュニアって…」
「誰と誰の?」と尋ねるのはいっそ無粋な気がして、それ以上何も聞けずにおっかなびっくり玲王の後に続く。玲王に甲斐甲斐しく世話を焼かれている様はとても他人とは思えなかった。
*
連れて来られたラウンジは壁一面がガラス張りでジャンボジェット機が滑走路を行き来しているのが見える眺めのいい部屋だった。既に人払いをしているのか俺達以外に利用者は誰もいない。
「会社に電話してくるから適当に寛いでろよ。何かあったらばぁやに言って」
「わかった」
玲王はそう言ってくれたが付き人は赤ん坊につきっきりだ。手際よく革張りのソファを退かし、絨毯の上に色とりどりのおもちゃと柵とベビーマットを設置すると、あっという間に彼の王国を作り上げた。
当たり前のように大人を従えた子どもは興味の赴くままに手を伸ばし、意味を成さない発声を繰り返してはばぁやさんを喜ばせている。意外に活発な様子から察するにどうやら俺に人見知りしていたらしい。
(見れば見るほど他人の空似とは思えないや)
ソファの一つに腰を下ろし、背もたれに顎を乗せて離れたところからじっと観察する。外見の特徴から同じ遺伝子を持つことは明白だった。月齢の見当はつかないが、わからないなりに自分が日本を離れていた期間とつき合わせずにいられない。
「インストールとやらは済んだか?」
「うん、まあ一応…」
電話から戻った玲王は俺の隣に腰を下ろしながらにこやかに尋ねてきた。口調は相変わらず軽く、何でもない世間話をするような様子に少しほっとする。おかげで思いきって聞くことができた。
「…あのさ、玲王。一つ確認させて欲しいんだけど、あの子どもの父親はもしかしなくても俺でしょ。ってことは母親って…」
「俺の従兄妹。お前もよーく知ってるあいつだよ」
予想はしていたものの人に言われると急に現実味を帯びて聞こえた。握りしめた指先がすっと冷たくなる。
(俺が、父親…?)
本格的に当惑して頭が上手く回らない。意味は理解できる。心当たりも、ある。しかし自分の子どもが預かり知らぬうちにこの世に生まれ落ちているなんて、簡単に実感の湧く物事ではなかった。
「凪?おーい、大丈夫か」
「…こ」
「こ?」
「この度はお嬢さんにとんだご無体を働き、何とお詫びをすればよいか…」
「ぶはっ、何だそれ。記者会見かよ。うちは怒っちゃいないし、あいつも怒ってない。誰も凪に謝って欲しいなんて思ってないって」
「でも迷惑かけた。そもそも好きな子の一大事に一緒に居ないなんて、俺サイテーだ」
泣きそうなことに気がついて慌てて両目を擦った。玲王達の手助けがあったとはいえ育児に追われるこの二年間は並大抵の日々ではなかったはずだ。その苦労を具体的に想像できないのが情けなかった。
「凪…まだあいつのこと」
「好きだよ。今も頼られているのが何で俺じゃなくて玲王なんだろうってめちゃくちゃ嫉妬してる。全然過去のことにできていない…ねえ玲王。俺、まだ間に合うのかな。父親なんて何したらいいかわかんないけど、二人の傍に居たい。駄目かな」
「駄目じゃねーよ。よく言った凪。…おい、今の聞こえただろ。面倒くさがりの凪がここまで積極的になるのはお前とサッカーのことくらいだ。いい加減、意地を張るのはやめて話し合え」
「へ…」
玲王の言葉の後半は別の誰かに呼びかけたように聞こえた。驚いて顔を上げると玲王の手元のスマートフォンの画面に『通話中』の文字と、恋い焦がれた彼女の名前が表示されているのが見えた。
3.
(玲王ってばお節介なんだから…それに乗せられる凪くんも凪くんだよ。私達の『傍に居たい』なんて、らしくない。自分が世界中に期待されるトップアスリートだってことを忘れちゃったのかな)
会社を抜け出し、自家用車でだだっ広い郊外の道を空港へ走らせながら沸々と怒りを燃やし続けていた。そうしていないと冷たい不安に負けそうだ。凪くんとの子どもを一人で産んで育てる─彼の夢とキャリアの為に身を引くことがベストなはずだった。しかしこうなってみるとひどく自分勝手な振る舞いをしているのを意識せざるをえない。
(…電話越しの凪くんの声、少し震えてた)
空港の駐車場に車を停め、ため息をついてハンドルにもたれる。全然過去のことにできていないのは私も同じだった。
*
平日にも関わらず空港ロビーは混んでおり、家族連れを横目に出迎えてくれた玲王の付き人の後に続いてラウンジのあるフロアへと向かう。下の階とは打って変わって誰もいない通路を見るとまたもや不安が押し寄せてきた。
(この向こうに凪くんが居るんだ…)
緊張で汗ばんだ手を扉にかける。鍵はかかっておらず、思ったよりもすんなりと開いた。
「誠士郎さまと坊ちゃまがお待ちです」
最初に目に入ったのは入り口のすぐ傍で佇むばぁやの姿だった。背が高い彼女は私の顔を覗き込むように屈んで目線を合わせ、口元だけで優雅に笑んでみせる。
いつもどおりの柔和で落ち着き払った様子に、ほっとした。少なくとも今のところは深刻な空気ではないらしい。
「ありがとう、ばぁや。ところで玲王は居ないの?」
「玲王さまは入れ違いに会社に戻られました。『親子水入らず仲良くしろよ』とことづかっております故、我々もすぐにお暇いたします」
ばぁやは脇に避けて私にスペースを譲ると扉を背にして慇懃にお辞儀をし、言葉のとおり他の付き人を連れて立ち去ってしまった。「もう少しここに居て欲しい」と小さな頃のようにせがむ暇もなかった。
「久しぶり」
そちらを見ないようにしていたのにいよいよ声をかけられて心臓が跳ね上がる。そろそろと振り返ると凪くんは部屋の隅に敷かれたベビーマットに座り込み、静かに寝入っている赤ん坊を抱えていた。
そうして並ぶと本当によく似ている。凪くんを知っている人ならきっと気づく。隠し通せると思い込んでいたのが不思議なくらいだった。
「…抱っこ、できたんだ」
「ばぁやさんに教えてもらった。小さいのに重たいね。腕が痺れて結構キツい…お昼寝の時ってずっと抱っこしてるの?」
「かして。交代するよ」
凪くんに倣って靴を脱いでベビーマットに上がり、受け取った我が子をタオルケットに包んでやりながら寝かせる。汗をかいていないかあちこち触って確かめる間もぐっすりと眠っていてしばらく起きそうになかった。
「すっかりお母さんって感じ」
「そうかな。玲王達が助けてくれるから何とかやれてるけど私なんてまだまだ…」
話の途中でふいに腕が体に回って引き寄せられ、構える間もなく尻もちをついた。
「な、凪くん」
「ぎゅってするだけ。…それともやっぱり、俺のことが信じられない?」
久しぶりに両腕にしっかりと抱えられてどきまぎした。押し退けようにもばぁや達が設置した赤ちゃん用の柵にぐるりと囲まれていて動き辛い。寝ている子どもの横で暴れるわけにもいかず、しがみつくような力の入りように離す気がないのを悟ると諦めてそのまま口を開いた。
「…さっき玲王に言ってたこと、本当?」
「本当だよ。二人と一緒に居たいと思ってる」
「私達と暮らしたら凪くんが海外に挑戦しづらくなるかもしれないよ。それでもいいの?」
「君達も行けばいいじゃん」
「っ…簡単に言わないで」
それができるのならこんな手段をとらずに済んだ。唇を噛んで振り仰ぐと、私の思いを察した凪くんは平然と顔を近づけて覗き込んできた。
「こっちに残りたいならそれでもいいよ。俺が一人で行くから。単身赴任ってやつ。毎日連絡して可能な限り帰って来る─会社員と同じだよ。これならサッカーも君達のことも諦めなくていいでしょ」
(そんなに都合よく運ぶはずがない…離れたら凪くんはサッカーに夢中で私達のことなんてどうでもよくなる)
言いたいことはたくさんあるのに黒目がちの瞳に懇願するような悲しげな揺らぎを見つけてしまった。それに気圧されて動けなくなる。行き場を失ったネガティブな言葉が頭の中を反芻してぐらぐらした。
(私達の存在が凪くんの足を引っ張っるのは嫌。でもサッカーの方が大事なのも嫌…一緒に居ることでそれがはっきりしてしまうのが怖い。それなら私一人で育てた方が傷は浅くて済む…)
「…そうやってぐるぐる考えて溜め込むの、よくないよ。玲王にも『話し合え』って言われたじゃん」
目を覚まさせるように両頬を包まれた。凪くんの手のひらの感触と体温がじんわりと伝わってきて、ゆっくりと現実に引き戻される。無意識に抑えた呼吸が徐々に楽になり、ガチガチに強張った体から力が抜けていくのがわかった。
「俺は兄妹みたいに育った玲王のように何でも察してあげられない。だからちゃんと言って欲しい。君と子どもを丸ごと抱え込むくらいの度量はあるつもりだし、足りない分は頑張るから…もう一度俺を信じてよ」
(私の負けだ…)
目の前の霧が晴れた心地がした。今もサッカーに向ける情熱と同じくらい、ひたむきで真っ直ぐな愛情を注いでくれていると思うと胸が熱くなる。必要以上に怯え、縮こまっていたものが解きほぐされていく。
(先のことはわからない。お互い心変わりをするかもしれない。未来も人の気持ちも不安定で不確実だけれども、いい方向に行くかは自分次第なんだ。強くならなきゃ─)
凪くんは変わった。私もまた自分の殻を破り、変わるべきだと思えた。
「…信じる」
「え、マジで?」
「うん。今のを聞いて凪くんが私のことを大切に思ってくれているのがわかったから、信じられる。むしろ捨てられないよう努力する」
「何それ。こんなに好きなのに捨てるわけないじゃん」
返答を聞いて不満そうに唇を尖らせた凪くんは私を解放すると、大きく息を吐き出しながらごろりと仰向けになった。拗ねたのかと思い恐る恐る伸び上がるが目元を隠した手が震えているのを見てぎょっとする。
「凪くん?」
「…よかった。これでまた一緒に居られる」
絞り出すように言うともう一度深く息をついた。倒れたのは安堵のあまり脱力した為らしい。僅かに覗いた黒目に蛍光灯の明かりが揺れて煌めいた。
(私、本当に馬鹿だ。一人でくよくよ悩んで最良を決めつけたりして…凪くんの考えもやりたいことをどう叶えるかも凪くん自身の問題なのに。何よりこの子は、二人の子どもなのに)
妊娠に気づいた時に、真っ先に「凪くんはどうしたい?」と尋ねればよかったと初めて後悔した。
「…ごめんね」
「謝らなくていいよ。君もジュニアも元気で幸せそうだし、これはこれでありだったと思う。…そういえば何で『ジュニア』って呼ばれてるの?」
「玲王がつけたあだ名なの。『二世っぽくてかっこいい』って。大きくなったらサッカーを教えるつもりみたい」
「へー、楽しそう。俺も混ざろうかな」
無造作に寝返りを打った凪くんが白く丸い頬に伸ばした指を、まるで予想していたかのように小さな手がぎゅうと握って捕らえた。驚いた様子で固まる凪くんに赤ん坊は眠ったままニコッと笑いかける。小さな蕾が春の陽気に誘われてほころぶような愛らしい微笑みだった。
「…やば。超かわいーんですけど」
すっかり虜になった凪くんがSNSを始めとするメディアで延々と我が子を自慢するようになるまで、そう時間はかからなかった。
Posted on 2025.03.22
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