真夏を翔ける純真

北信介

7歳上の北さんに嫁入りしたい幼馴染と、北さんの両片想い話。

※大人北さん
※関西弁はエセです

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目次

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真夏を翔ける純真【前編】

7歳上の北さんに嫁入りしたい夢主と、北さんの両片想い話。

ちりん、と軒先に吊るされた風鈴が軽やかな音を奏でた。首を振る扇風機がこちらを向き、乾いた風が薄く汗ばんだ額を撫でたのをきっかけに、ふつりと集中が途切れて参考書とノートを広げた机から顔を上げる。

晴れた午後、北家の手入れの行き届いた庭の向こうで日差しと空は夏の色合いで冴え渡っている。その手前にある板敷きの縁側にあぐらを組み、農作業から戻った北信介─もとい信ちゃんが熱心に朝刊を読んでいた。長い庇の影に沈み、横顔の稜線が仄白く浮かび上がっている。

(信ちゃんはどんなに暑くてもキリッとしてるなあ。私とは大違いや)

慌てて持参したタオルで顔を拭った。作業着から白い半袖シャツに着替えた七歳上の幼なじみは極めて静謐で整って見えた。亜熱帯を思わせる昨今の気候をものともせず、やたら涼しげな顔つきで田畑を耕しているのを知っているせいかもしれない。

「じっと見とらんと用向きを言うてみい」

視線に気づいた信ちゃんの瞳がチカッと光った。瞳孔の透けた薄い色の目は、刹那で驚くほど眩しく輝く時がある。

「う、うん。あのね、宿題の…ここがわからへん」
「どれや」

どきまぎして咄嗟に取り繕ったが信ちゃんは特にこだわった様子もなく、律儀に朝刊を畳み、立ち上がって歩み寄ってきた。そして暫く中腰姿勢で私の指した箇所を眺めると「ううん」と低く唸った。

「七年も経っとるから自信ないわ。ちょっと待っとき」

そう言って机の角を挟んで畳の上に腰を下ろし、教科書と参考書にかぶりつくように身を乗り出した。

遠くにあった横顔がすぐ目の前にある。骨張った大きな手と、筋のはっきりした太い腕。よく日焼けした首筋。青年の分厚い肩。汗を流す際に使った石鹸の匂い。信ちゃんの全部を独り占めしているような気がしてどきどきした。信ちゃんが私のお願いに一生懸命になってくれるこの時間が好きで、一番大切だった。

「…ねえ、信ちゃん。私が高校を卒業したら、お嫁にもらってくれへん?」
「何やて?」

昂ぶる想いの丈をそっと打ち明けると、思わぬ素早さで信ちゃんはこちらを振り向いた。縦にすぼまった瞳孔が鋭さを増し、夏の黒々とした影の中で強くぎらついた気がした。

驚いて息を飲み、身を固くする。信ちゃんの反応は予想していたどれとも異なっており、またどれよりも厳しく激しい。二人の間にはこれまでにはない、全く預かり知らない気配が漂い始め、麻痺したようにお互いを見つめ合う。

(相手にされる訳ないと思ってたのに、この空気の重さはどういうことや…)
「お前…それはどの程度の─いや、何でもあらへん。とにかく、せっかく高校に通わせてくれたのに、就職せんと農家の嫁なんてもったいないわ。ちゃんと勤めて給料もろて、家族に立派なとこ見せたれ」

無駄のない落ち着きはらった態度。一本調子のよく通る声。どれも大好きなはずなのにきっぱりとした物言いが、今はひりひりと胸に痛い。

いきなり嫁入りなんて考えなしだと諭されているのだ。少しでも私のことを意識してもらいたいという動機そのものが浅はかに思えた。信ちゃんはいつも正しい─恥ずかしさと気まずさでいたたまれず、涙がじわりと滲む。

「…ごめん、いきなり変なこと言うて。でも私、本気やから。本気で信ちゃんのことが─」
「それ以上は口にしたらあかん。今日は帰れや。参考になりそうなところに印つけといた。あとは一人でも出来るやろ」

ぴしゃりと返され、唇を噛み締めて俯く。信ちゃんは教科書類を揃えて机の端に積み上げると、私をその場に残し、徐ろに部屋を出て行ってしまった。

冷たくあしらわれたもののすぐには帰宅する気力が湧かず、呆然と空いた机の上を眺める。私の行く末を案じているのは理解できた。しかし欲しかったのは年長者の良識まみれの説教ではない。すらりと襖を閉じる空虚な音が、いつまでも耳に残っていた。

***

幼馴染が俺を恋愛対象と見ているのには気づいていた。しかし長らく知らぬ存ぜぬを通してきた。恋だと認めた瞬間、全てがそこで終わる儚い間柄だ。七歳差の壁は大きい。

だから「高校を卒業したら、お嫁にもらってくれへん?」と甘く囁くのを聞くなり(自覚がなさ過ぎやろ)と飽きれるのと同時に胸が潰れる思いがした。

(面食らってついキツい言い方してもうた。告白そのものやなくてタイミングの問題やのに。せめてあと一年半…卒業した後だったら返事のしようもあったわ)

過ぎたことをくよくよと考えても仕方がないのに、ふとした拍子に溜め息が漏れ出た。やるせなさは時間の経過に比例して濃く深く淀んでいく。

(もう高二やもんな。子どもの有耶無耶で済ませていい時期はとうに過ぎていたんや)

こちらを見つめる迷いのない瞳。遠ざけるのがあいつの為だと思うのに、純度の高い輝きを放つそれがいつも決心を鈍らせる。

木陰で昼食をとり、水を張った田んぼの間を通る畦道を戻ると、幼なじみが一段高い土手からこちらを見下ろしていた。登校日だったのか制服姿だ。ワイシャツと紺色のスカートが、夏の勢いを得た稲の若苗と土手に伸びた野草の緑に映えている。

「日なたにおったら熱中症になるで」
「…今来たところやからまだ平気。信ちゃんと話したらすぐ帰る」

昨日のやり取りが尾を引いているらしく、俺が近づくまで居心地が悪そうに目を伏せていた。容赦のない熱を放つ太陽を背にして立ち、気休め程度の日陰を作ってやる。

そうして目の前で改めて見下ろすと(きれいになったなあ)と思う。金の光が夏の装いからすんなりと伸びた健康的な手足と、奔放で気まぐれな花ざかりの娘の頬を照らしていた。豊かな黒髪が俯いた額にさらさらとこぼれ落ちる。

どこもかしこもつやつやのぴかぴかだ。泥まみれで汗だくの自分が、おいそれと触れて汚していいものではない。

「宿題、褒められたで。私がクラスで一番進んでたん」
「そうか。ほんなら残りは友達とやり」

ぴくん、と小さな肩が震えた。また一つ、柔らかな胸の内に傷を作ってしまったことに気がついた。自分ではごく普通の口調で淡々と告げたつもりだ。これまでとは勝手が違い、昨日からどうにも調子が狂う。

(お前、ほんまに俺でええんか。俺は多分、この先も変われへんで)
「し、信ちゃんは私のこと、きら─」
「好き嫌いの問題やない。今はそういうことを話し合う時機やないだけや。わかるやろ」
「…私が卒業して勤めに出たらええの?忙しくなって、話し合いどころか会う時間そのものが無くなってしまうかもしれんで」

その時はその時やろ─言いかけて口を噤んだ。頑なな岩のようだった自分の心が清らかなせせらぎに濯がれ、埋もれ隠されていたものが徐々に露わになっていくのを感じていた。

「…それは嫌やな。寂しいわ」

勢いに背中を押され、ごく自然に本音を話すことができた。しかし言ってしまった後で極度に緊張し、胸の鼓動が速くなる。

(大人のふりして躱したり見ないようにしていた方がずっと楽や)

体の内側でガンガンと鳴り響く心臓の音を耳元で聞きながら、いよいよばつが悪くなって帽子を深く被り直し目を逸らす。傍らの田んぼの水面が風もないのに揺蕩っていた。

「ほ、ほんまに?騒がしくてうざったくない?」
「そんなこと思ったん、一度もないわ。お前こそ俺とおっても退屈やろ。口下手やし、話題も家族と田んぼのことばっかで面白ないし」
「私は退屈したことなんてない。二人でぼーっとするのも信ちゃんの話を聞くのも好きやもん。信ちゃんとおると安心する。一緒に居る時間を失くしたくない。信ちゃんの特別になりたいんや」
(好きとか特別とか、それ以上はあかんて昨日言うたのに。つられて俺のもハッキリしてまうやんか)

自分に向けられた一途でひたむきで、真っ直ぐな恋慕。必死でいっぱいいっぱいになっているのが、ただひたすらにかわいらしくて、愛おしい。

じんと胸の奥が疼いて熱くなる。これまで信じて積み重ねてきたものが認められたこの感覚は、高校で『1』が描かれたユニフォームを手にした時に覚えがある。うれしさが喉元までせり上がってきて、慌てて瞬いた。

「やっぱり七つも下なのがあかんの?私が高校生で、子どもやから…」
「…俺が煮え切らんかったのはお前が年下のせいとちゃう。この手で幸せにする覚悟を決めかねてたからや。でもお互い本気なんはわかった。俺もいい加減、腹くくるわ」

*

将来を誓って一年半、二度の春が巡った。幼なじみは高校を卒業し、今年十九歳を迎える華奢な背中が田畑を耕す光景が当たり前になりつつある。

乾いた土の匂いがする農機具小屋の中で「信ちゃん」と柔らかな唇が震えるのが、合わさった自分の唇に直接伝わる。聞き慣れた呼び名はとろりと粘度の高い甘さを含んでいて、蜂蜜色をしているかのように思えた。舌を伸ばして舐めてみればその直感が正しいのかがきっとわかる。俺はそれを知る権利を有している。

「キス、初めてしたわ…信ちゃんの唇はふわふわしてて気持ちええ」
「…相変わらず煽り上手やな」
「え…、んぅ…っ⁠⁠」

一度で済ますつもりが思いのほか反応がいいので止めるのが惜しくなった。軽く肩を押し、外から死角になる壁に追いやって再度唇を重ねる。

周囲に交際宣言をし、清廉潔白の仲を示すために敢えて堂々と振る舞ってきた反動だ。こうして人目を忍んで情欲を交わすことに慣れておらず、たどたどしささえ種火になる。やましい衝動に身を委ねるのは心地良かった。

「…あ。お母さんや。新婦は準備に時間がかかるから早めに帰って来ぃって」
「…俺も行くわ。バァちゃんがはりきり過ぎんよう様子見せなあかん」

農作業着のポケットに入れたスマートフォンの振動に、二人でぎくりとした。慌ただしく小屋の外に出ながら(農機具庫でサカるなんて俺もまだまだや)と気まずい思いで連れ合いの様子を窺うが「挙式にぴったりの日和になったねえ」と春霞のかかる淡い青空を眺めて、もうにこにこしている。

先程の余韻を残して少し赤らんだ顔は澄んだ朝日を浴びて生気に溢れ、驚くほど美しかった。

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