御影玲王の従兄妹
凪誠士郎
好きな子にはやたら積極的な凪くんと、玲王の従兄妹の恋話。マイペースな凪くんに振り回されます。
※夢主は玲王と同い年の“いとこ”ですが、玲王がリードする関係性なので敢えて「従兄妹」という表記にしています。
【R18】コンテンツについてはこちらをお読みください。
目次
2024.04.28
2024.05.17
2024.06.07
2025.03.22
2025.03.22
好きな子にはやたら積極的な凪くんと、玲王の従兄妹の恋話。マイペースな凪くんに振り回されます。
※夢主は玲王と同い年の“いとこ”ですが、玲王がリードする関係性なので敢えて「従兄妹」という表記にしています。
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2024.04.28
2024.05.17
2024.06.07
2025.03.22
2025.03.22
好きな子にはやたら積極的な凪くんと、玲王の従兄妹の恋話。マイペースな凪くんに振り回されます。
凪誠士郎は風変わりな人だ。
入学式が終わり、各クラスに分かれて最初のホームルームで居眠りをしていた彼は、自己紹介の順番が回ってくるよりも早く「凪」と担任に非難の声で名指しされていた。視線の集まった先を見ると窓際の一番日当たりのいい席で、真新しいジャケットを着込んだ背中を丸め、腕を枕にして机に突っ伏している男子生徒の姿があった。どことなく麗らかな春の陽気に誘われた白猫に似ていると思った。
「凪誠士郎です」
担任に名前を呼ばれた理由を、自分の番がきたのだと勘違いしたのか、凪くんはおもむろに腕を伸ばして大あくびをして立ち上がった。そして短く名乗ると呆気にとられる周囲をよそに、すとんと腰を下ろしてまた眠り始める。
意外に大柄で、窓から注ぐ白い光を遮り教室内にサッと影が差した。その一瞬で世界が一変してしまったような気がした。
おかげでクラスメイトの中では彼の顔と名前をいち早く覚える運びとなった。私はどちらかというと大人しいと評される性分な上、自己紹介では必要以上にあがってしまったのを落ち込んでいる最中だったので、その勝手気ままさがうらやましく、眩しくさえあった。
「おもしれーよな、凪ってやつ。お前もそう思うだろ?」
「うん。今まで玲王と私の周りにはいなかったタイプだよね」
二年生になってからも彼はマイペースな振る舞いを貫き続けた。今日も教室の片隅で粛々と秩序を乱している。
従兄妹の玲王はいつの間にかそんな凪くんに興味を持ったらしい。気がつけば彼にしきりにつきまとい、何をどう説き伏せたのか一緒にサッカー部に入るほど親交を深めていた。
自然と玲王と仲のいい私も加わり、たまに三人で昼食をとったり、練習のない放課後や休日に出掛けたりした。玲王の代わりに彼のフォローを頼まれもしたし、凪くんがそれを嫌がる素振りを見せたことは一度もなかった。
寄せた肩や指先が触れ合うのを許されたことを知ったのは、職員室に向かった玲王を待つ放課後の教室だった。カーテンを開け放った窓からは夕日が差し込み、二人を残した室内を余すことなく赤く照らしていた。
廊下側の席に並んで腰を下ろし、ゲーム実況の動画を映した凪くんのスマートフォンを覗き込む。「よく見えない」と無遠慮にもたれてくる体温。私よりもずっと骨ばった手指がすいすいと画面の上を滑っていく。動画に夢中になって少しすぼめられた柔らかそうな下唇にどきどきした。否が応でも異性と二人きりである状況を意識させられる。
「凪くん、近い…」
「…俺と近いのはダメ?玲王とはしょっちゅうくっついてるくせに」
「玲王は親戚だし、小さい頃から一緒で兄弟みたいなものだもの。凪くんとは全然違うよ」
問われた事柄に対して弁明してみせたが、凪くんは気だるそうに「ふぅん」と言うだけだった。そして視線は画面に釘づけのまま、二人の間にある机に頬杖をついて体を離す。
「…俺は結構、好きなんだけどな。やっぱダメかな」
「そのゲームはバトルが多めで私はちょっと苦手かな。凪くんと玲王が手伝ってくれたらきっと楽勝なんだろうけど」
「…はあ。それはまあ、そうだろうね」
凪くんは気のない相槌と共に大きなため息をつくと、もの問いたげにちらりとこちらを見やり、手元の画面に戻ってしまった。(ん?)と短い直感が働いた。(いやいやまさか凪くんに限ってそんな)と頭の上を漂う思念を腕を振って追い払う。
しかし時はすでに遅く、甘い痛みを伴う胸の高鳴りが、ぶわりと首筋から耳にかけて昇った熱が、彼の求愛をはっきりと認識した証として差し迫った。そして目の前の無防備な横顔がどうしようもなく魅力を増して見えて、くらくらとした。さっきは離れて欲しいと突き放したのに、この心境の変化はあんまりだと両手で顔を覆う。
「あ、もしかして俺が言った意味に今さら気づいた?いたいけな純情を踏みにじられて、これでも傷ついてるんだよね。俺…」
「ご、ごめん。鈍くて…お詫びに、私にできることなら何でもするから」
「『何でも』?…ふぅん」
保身の言葉に返された今度の「ふぅん」は微かに上擦って愉悦を帯びていることに気がついた。恐る恐る指を開いて隙間から様子を窺う。
「それなら俺のことを好きになってよ。兄弟みたいな玲王とはしないことを、恋人の俺とはしよう。そしたらさっきのことは許してあげる」
つぶらな瞳をわずかに細め、この場に縫い留めるように私をじっと見つめる凪誠士郎がそこにいた。暗く澄んだ金色の瞳からねっとりと注がれる視線にも、今にも舌なめずりをしそうな口元にも、猫族に似た捕食者の気迫が溢れていた。
ぞく、と顔を隠した手の下で身震いする。一年生の時から彼を見ているが(こんな凪くんは知らない)と思った。恐らく玲王も気づいていないだろう。
「俺のこと嫌い?」
「ううん。全然、嫌いじゃない」
「じゃあ、とりあえずつき合おうよ。そのうちちゃんと好きになってくれればいいからさ」
ずい、と整った顔立ちが間近に迫った。しきりに愛情をねだる唇に、しっとりと濡れた黒目がちな瞳に見惚れてしまう。
(玲王が凪くんのことを「宝物」と呼んで手元に置きたがる理由が何となく理解できた気がする…)
パズルのピースがはまるように、解がすとんと腑に落ちた。返答はもう決まっていた。
凪誠士郎は不可解な人だ。
『玲王の友達』と『玲王の従兄妹』から『恋人同士』へと二人の関係は変化しても、その印象は変わらなかった。
「不束者同士お似合いなんじゃねーの」
報告を受けた玲王は特に関心を示さず、ぞんざいにコメントするのにとどまり、その後も玲王が私達二人を引っ張るという構図のまま三人で行動した。二人と一人になる機会はあっても、二人の組み合わせが凪くんと私になることはなかった。
(告白の時に感じた凪くんの気迫は何だったんだろう…)
授業中だろうとお構いなしに、日の当たる自席ですやすやと寝入るのを眺めながら考える。普段の彼からは想像もつかない火花のような熱意のひとかけらが、今なおじりじりと胸の内を焦がしていた。
ふう、と口元を覆った手の下で息をついて、上がった体温をこっそりと逃した。板書をノートに写す作業に戻ろうとして、震える指先に気がつく。
(『玲王とはしないことを、恋人の俺とはしよう』と凪くんは言っていた。あれはどういう意味なんだろう)
思考と記憶はあの瞬間に縫い留められ、全く勉強に身が入らなかった。一人でこの難題を解くには経験や想像力といったピースが足りない。わかっているのに悶々としてしまう。
(玲王に相談しても、あの様子じゃあ親身になってくれないだろうな…)
何も行動できないまま物憂く過ごすうちに、事態は凪くんの一言をきっかけに唐突に動いた。
「今日の放課後、俺んちでゲームしようよ。玲王は用事があるから抜きになっちゃうけど」
「ついでに凪が今日の分の自主トレをサボんないよう見張っといてくれ」
「え…」
いきなりのことで「うん」とも「ううん」とも返せなかった。空になったお弁当箱を抱える手にじわりと汗が滲む。屋上から教室へと戻る階段の踊り場で私が立ち止まったのに気づかず、凪くんと玲王は「ゲームするって言ったじゃん」「トレーニングしてからでも時間あるだろ」とお喋りに興じながら先に行ってしまった。
慌てて階段を下って席に戻り、玲王にLINEを打った。親身になってくれなさそう、などと悠長に構える心持ちは吹き飛んでしまっていた。
【私一人で大丈夫かな】
【不安なら断ればいいだろ】
玲王からの返答は予想通りにべもない。私が意識しすぎなのだろうかと深く俯いていると、ぽんと後ろから軽く肩を叩かれた。いつの間にか凪くんが椅子の背もたれのすぐ横に立っていた。
「凪く…」
凪くんはふいに手を伸ばして何の断りもなく私の顔に触れると、顎に添えた指先でついと上向きにし、しげしげと観察するように真正面から覗き込んできた。昼休みの終わりに差し掛かった教室には大勢のクラスメイトが居合わせているにも関わらず、全くためらいのない所作に圧倒され、息を吞んで見上げてしまう。銀糸のような前髪が垂れかかり、毛先が私の額を掠めるほどに近かった。
「泣いてるのかと思った」
「だ、大丈夫。ありがとう、心配してくれて」
「これくらいでお礼とか、言わなくていいよ。彼氏が彼女の様子を気にするのは当然でしょ」
恥ずかしげもなく言い放った凪くんは触れた時と同じようにあっさりと手を離すと、教室中の視線をものともせずに窓際の自席に戻る。誰も何も言わないが、自分達の想定の外にあるものを目にしたと、静まり返った空気が凪くん以外の心の内を物語っていた。
*
ホームルームが終わり、衆人環視の中を連れだって教室を出る。午前に引き続き凪くんがずっと寝ているので、休み時間の度にクラスメイトの浮いた関心を一身に受ける羽目になり、心身ともに疲れ切っていた。
「なんか意外。注目されるのは慣れてると思ってた」
「玲王じゃあるまいし、ああいうのは苦手。明日からは凪くんが相手をしてよ」
「えー、めんどくさい」
そんな変わりばえのない会話をしながら同じ道をのんびりと歩いて帰る。緊張もなければ高揚も感じなかった。後から思うと翌日以降のクラスメイトの猛攻をどう凌ぐかに気を取られていて、未だに二人きりの状況に意識が向いていなかった。
はっとしたのは背中で玄関の錠が下ろされる音が響いた時だった。単身用の間取りが物珍しく、部屋の内部を見回している最中だった。
日当たりのいい部屋は予想以上に整頓されており、ふんわりとお日さまの香りに満ちていた。腕を伸ばせば大抵の物は手に取ることができる広さだ。そしてその距離感覚はこの空間に立つ二人にも同じことが言えると、今さら気がついた。
「そんなに警戒しなくても何もしないよ。玲王にしっかり釘を刺されてるし。今日のところはダイジョーブ。仲よくなりたいだけだから安心して」
テレビの前の床にクッションを置いて、制服のままの凪くんは足を組んで腰を下ろした。(昼休みのあれは私としては『何もしない』うちに入らない)と思いながら、スカートを折り込んでそろそろと隣のクッションに座る。
「でも君が許してくれるのであれば話は別だから。その気になったらいつでも言って」
「っ…」
内緒話をするように耳に吹き込まれた囁きは、いつも通りゆったりと気だるげで、いつもよりも後ろめたい響きを含んでいた。密やかな吐息が耳介をくすぐり、びくんと肩が跳ねる。告白された時と同じように情欲の匂香がぐっと濃くなって辺りを漂い、座っているのにくらりと眩暈がした。
(『玲王とはしないこと』ってやっぱり、そういう…)
無知で鈍感なふりをして見ないようにしていたものを、いきなり明らかにされて目が覚めたように感じた。凪くんが暗に指し示すそれは高校生である私達には不健全で不適切とされていて、大人達が必死になって隠そうとしているものだ。彼は私に、一緒に世界を裏切ろうと誘いをかけているのだ。
そっと隣の凪くんを窺うと(やっと理解した?)と訳知り顔で見下ろされていた。授業に集中できずにいたのも全部見られていたのだと思った。無関心を装って観察し、ここぞとばかりに選択を迫るなんて本当にずるい人だ。
(ずるいけど、私の好きな人なんだ…)
隠すべきことを何一つ持ち合わせていないことを理解して、かあ、と赤くなった顔を抱え込んだ両膝に埋めて体を丸めた。凪くんへの恋心も、誰にも打ち明けられなかった浅ましい胸の内も、白日の下に容赦なく曝されて丸裸にされた気分だった。
「どう?その気になった?」
「…凪くんのことは好きだけど、お互い責任がとれないうちにそういうことをするのはダメだと思う」
「あらら…まあ、良識的かつ賢明な判断だね。彼女の身持ちが固いのがわかって俺も安心だし、この展開も悪くないか」
凪くんは貞淑と打算にまみれた苦言を淡々と評価すると、ぽんぽんと私の頭を撫でて、特段がっかりした様子もなくゲーム機の準備をし始めた。ちらりと見やった横顔には大人びた諦観を携えており、先ほど垣間見せた年頃の男の子らしい下心なんて、もうどこにもなかった。
凪誠士郎は手の届かない人になってしまった。
私の恋人で、従兄妹の玲王に並んで最も身近な男の子のはずだったのに。U-20日本代表VSブルーロックの試合を境に、彼らを見る周りの目はがらりと変わった。世界中が凪くんの才能を見つけてしまったのだ。
試合の直後こそクラスメイトと一緒に彼の活躍を喜んだが、連日の報道から事の重大さを理解し、次第に不安が強くなった。たった一つしかない枠を賭けた選考に残った上に、現役の日本代表を圧倒したのだ。名声の獲得に貪欲な玲王はともかく、何をするにしてもしきりに「めんどくさい」とぼやく凪くんのイメージからは大きくかけ離れた実績に思えた。
(きっと私に構っている場合じゃない…ううん、忘れたくてわざと連絡をくれないのかも)
テレビの画面に躍動する姿が映る度に、生きる世界の異なる遠い存在なのだと、考えが悪い方へと傾いていく。気合と念を込めてLINEでメッセージを送信してみても一向に既読にならず、電話も硬い合成音を繰り返すばかりで凪くん本人に通じることはなかった。
*
「ねえ、凪くんって今日の文化祭に来れるのかな。何か聞いてない?彼女さん」
「うん…忙しいみたい」
「そっかぁ。来てくれたらいい広告塔になると思ったんだけどな。集客は自分達で頑張るしかないか」
クラスの出し物にお化け屋敷を提案した実行委員のクラスメイトは、血の滴るおどろおどろしいメイクを自分の顔に施しながら残念そうに肩をすくめた。先ほど前のシフトの人から「朝から入場待ちの列が絶えない盛況ぶり」と聞いたが、発起人としては満足していないらしい。
「そうだね」と相槌をうちながら準備室の更衣スペースで制服からラフな恰好に着替えた。私は通路の一角にある照明を操作する役なので、暗闇に紛れるよう黒っぽい私服になるだけで済む。
裏方とはいえ鞄は持ち込めない。一縷の望みを抱いて、(えい)とスマートフォンを確認するも、凪くんの名前は履歴のずっと下に埋まったままだった。こちらから連絡するのを止めて久しい。それなのに向こうからの音信を期待しては裏切られ、がっかりするのを繰り返していた。
(いい加減、諦めるべきなのかもしれない。凪くんの名前を見たり聞いたりする度に動揺して、彼女のくせに何も知らされていないことに傷つくのはもう沢山だ)
溜め込んでいた不満や不安がパッと引火するように燃え上がり、怒りに似た衝動が湧いた。どうしてこのタイミングなのか自分でも判断できなかったが、文化祭の華やかな雰囲気の中で寄る辺のない想いを抱え続けているのにいよいよ限界がきたのかもしれない。待つのが苦しいのであれば自ら終わりを定めればいいのだと気がついたのだ。
決意が揺らぐ前に急いで凪くんの連絡先をタップし、メニューから削除の項目を選択した。本当に削除していいのかと念押しのような問いかけに、震える指で「はい」を押そうとしたその時だった。
「きゃあ」と複数の女子による黄色い歓声が準備室の外の廊下に響いた。隣のお化け屋敷で上がるものとは異なる興奮が含まれており、怪訝に思って覗くと、入場待ちの列の向こうに別の人だかりができていた。
(!な、凪くん?何で学校に…ブルーロックはどうしたんだろう)
輪の中心にいるのは紛れもなく凪誠士郎本人だった。上背があるので頭一つ抜き出た位置から、まるで他人事のような顔をして自分に群がる人々を見下ろしている。
事態が飲み込めず、目をぱちくりさせてその様子を眺めた。そうして熱心に見つめたためか、凪くんはふと顔を上げて私に気づいた。まなざしがぶつかり、表情がわずかに変化したのでそれがわかった。
「どうしたの?」
「何でもない。私、そろそろシフトの時間だから先に行くね」
メイクをしていたクラスメイトに背後から話しかけられ、慌てて我に返り、廊下に出していた半身を引っ込めた。後ろ手でぴしゃりと出入り口の戸を閉めて曖昧に笑いかけ、準備室の奥にある隣の多目的室に通じる専用ドアへと足早に向かう。
ドアを開けて目の前に伸びた裏方用の通路は、展示パネルで見物客用の通路とを仕切って作られている。部屋の一面の窓を暗幕で覆うも昼間の日差しを遮れきれず薄明るかった。本を読めるほどではないが、其処ここに身を潜めるクラスメイトの顔を判別できるくらいの光量だ。
見物客は限られた人数しか中に入れない方針なので、持場でずっと気を張っている必要はなく、次のグループが通るまで時間の余裕がある。随所で時折上がる悲鳴も、慣れてしまえば怖がっているよりも喜んでいるように聞こえ、すぐに気にならなくなった。
(あからさまに逃げちゃったけど凪くんのことだもの、きっと何とも思ってないよね)
役割を交代して一人になってみると、落ち着いて考え事をするにはこの薄闇がありがたかった。
久々に顔を見れたうれしさよりも困惑が勝っていた。連絡がないことに落ち込むのを止めて、私なりにけじめをつけようと決意した矢先でもある。(返信も折り返しもせずに顔を合わせて気まずくないのかな)とふくれたい気持ちも変わらなかった。
(もう本当に、手遅れなのかな…)
「何で逃げるの。俺、君に会いに来たんだけど」
「っ…」
急に話しかけられたことに驚いて、声を上げて飛びすさりそうになった。それよりも早く片手で口を塞がれ、長い腕が体に巻きついてくる。パニックになりかけたが、抱きついてきた相手が凪くんであることがわかると、その意思を汲み取り、すぐに冷静になることができた。「離して」と震える吐息が唇に触れる大きな手のひらをなぞった。「騒がないし、逃げないから」とも。
「久しぶり。元気そうで何より」
凪くんは触れた時と同じくらい唐突に私を解放した。一応この出し物の趣旨を理解しているらしく、顔を寄せてひそひそと話しかけてくる。辺りは暗幕やパネルをはじめ、大きな仕掛けや飾りつけがひしめき合っているので、ほぼ一人分のスペースしかない。そこに二人が前後に並んで詰めているので狭苦しくてしょうがなかった。
「…私に会いに来たなんて信じられない。全然連絡してくれなかったもの」
「怒るのは当然だと思う。でも俺の持てる全てをサッカーに注ぎ込まなきゃここまで残れなかった。それに…君ならわかってくれる気がしたんだ」
ずいぶんと手前勝手な言い分に聞こえた。頭にきたが、凪くんが殊勝に肩を落として前髪を揺らすのを見て、ぐっと反論を飲み込む。彼が潜り抜けてきた関門がどのようなものであったかは私の想像と理解の外にあり、口実だと一概に退けられるものではないと思い直したのだ。
(だからといって簡単に許せるはずもない…凪くんを応援したい気持ちはあるけれど、放っておかれて寂しいのも辛いのも本当だもの)
これみよがしに大きく息を吐いて視線を振り払い、前を向いた。立ち話をしている間にもパネルの向こうで順繰りに悲鳴が上がっている。刻々と見物客が近づく気配があった。
「…成り行きとはいえ、不安にさせてごめん。機嫌直してよ。俺、相変わらず学校には興味ないけど君のことは好きだからさ…そうやって冷たくされると正直、キツい」
語尾がかき消えるのと同時に、両肩に重みを感じた。これまでのように抱き寄せるのではなく、後ろからそっと手を置いただけだった。
何と返事をしようかすぐには思いつかず、考える間に一組のカップルが私の照らした仕掛けに悲鳴を上げて通り過ぎて行った。例によって本気で怖がってはおらず、照明を落とすと再び寄り添って楽しそうに歩き出す。
(いいなあ)と率直にうらやましかった。せっかく凪くんと会えたのに、いつまでも拗ねているのはもったいないとも思えた。怒る気持ちが急速に萎んでいく。
振り返って見上げた凪くんは寂しげな色を浮かべていた。私との関係を断っても構わないと本気で考えているのなら、彼の性格上、こんな所まで追って話をしようとはしない。それに敢えて私にこだわらなくても今ならいくらでもちやほやされるはずだ。
きゅうと胸が甘く疼いた。十七歳の少年の不器用な一途さを、もう一度信じてみたくなった。
「…中庭の屋台でわたあめが食べたい」
「へー、そんなのあるんだ。俺も食べたい。後で一緒に買いに行こ」
(『めんどくさいから買ってきて』じゃなくて『一緒に買いに行こ』なんだ…)
照れ隠しのつもりで脈絡なく言ったのに、凪くんは当然のように同行を申し出てくれた。頷き返すと、ふっと二人の間の空気が柔らかく緩むのがわかる。仲直りはそれで十分だった。
「…わたあめだけでいいの?せっかくだから俺はもっと欲しいけど」
安堵のため息をついたところで「え?」と聞き返す間もなく、軽く肩を押されてパネルにかかった暗幕の影に連れ込まれる。横髪をかきあげられ、耳の辺りを撫でられるのがくすぐったいのに気を取られた隙に、誰の目も届かない場所でこっそりと初めてのキスをした。
教室内のあちこちで息を潜めているクラスメイトの気配と、外を行き交う沢山の人のざわめきが遠くなる。お互いの呼吸と、肌に触れる凪くんの手のひらがやけに熱くて、夏の暮れみたいな湿度が二人にまとわりつく。
身を引こうとしたが力が入らず、また凪くんが揺らぐはずもなかった。戸惑いとためらいと、ここが学校である事実を暗幕の外に置き去りにした、背徳の匂いのするキスだった。
「…そろそろお客さんが来るかも」
「そうだね。これくらいにしておきますか」
不意をついてわずかに身じろぎをするのと同時に、入り口の方でがらりと戸が開く音がして、次の見物客の足音が近づいてくる。慌てて持ち場に戻り照明を操作する私の後ろで、凪くんは「先に進むのはいつになるのやら」なんてぼやいていた。
今日でもいいよ、と言ったらどんな顔をするのだろうか。はらはらさせられてばかりなので同じくらいどきどきしてもらわないと割に合わないと思う。
「あ。今のちょっと悪い顔、結構好き」
「………ばか」
手元が乱れてスポットライトが少しぶれる。突然の「好き」に、不覚にもときめいてしまった。こうしてこの先に進まない理由がどんどん封じられていく。
無邪気で奔放で、欲望に忠実。マイペースな行動で振り回すけど悪気なんて欠片もない。凪くんはどこまでも憎めない、私のかわいい恋人だ。
※凪視点
御影玲王には同い年の従兄妹がいて、高嶺の花だと入学当初から評判だった。曰く玲王以外の男子とはほとんど喋らず、同年からすると近寄りがたい存在らしい。校外に婚約者がいると噂する生徒もいた。
深窓の令嬢、箱入り娘。耳にする度に大層な称号に吹き出しそうになる。あの子は単純に人見知りで恥ずかしがりなだけで、極めて普通の女の子なのだと言ってやりたくなる。
しかし育ちのよさが表れたおっとりとした立ち振る舞いと、玲王と同じ血を分けたとわかる容姿が、同級生を惹きつけるのは確かだった。従兄妹同士の二人が並ぶと廊下の片隅だろうと必ず目を引いた。
さらに明るく人懐こいのは御影家の気質のようで、俺に慣れた彼女は「凪くん」と今や惜しみなく可憐に笑いかけてくる。一人になった廊下や帰り道で「おのれ凪誠士郎」と怖気を感じたのは一度や二度ではない。注目を集めるのは平気なのに話しかけられるのは苦手という、何とも不可思議な生き物だった。
そんな彼女を独り占めしたいと思うようになったのはいつだったか。玲王の友達というだけで人見知りの垣根をあっさりと壊して俺に気を許した彼女は、ひたすら優しく親切にしてくれる。それなのに見返りを求めず、期待も強制もしない。恵まれた身の上がもたらす掛け値なしの無償の愛だ。怠惰で横着な自分の心性が、それを追い求めるようにできているとはこの時まで知る由もなかった。
*
「ねえ、玲王。今度あの子に告白しようと思うんだけど構わないよね」
唐突な打ち明けに、玲王はすっかり意表をつかれた様子だった。放課後のグラウンドは自分達を除いて誰もおらず、人工芝の葉先を撫でた風がゴールネットを吹き通ってさらさらと前髪を揺らす。一瞬の間をおいて向き直り、足元のボールを挟んで正面から俺を見つめると、目を丸くした玲王は呻くように呟いた。
「…マジ?」
「大真面目。親戚に軽々しく言えないよ、こんなこと」
「俺は全く構わねーけどさ…ただなあ、凪。何でよりによってあいつなんだよ」
そう言うとふいに唸って腰に手を当て、夕空を仰いだ。含みのある口調にどきりとする。
「…何かあるの」
「うちの親が本当の娘みたいに可愛がってるんだよ。そうして守られて育ってるから同年と比べてすれてない分、鈍感だし。恋人としては確実にめんどくさいぞ」
「うーん…御影一族絡みのあれこれは覚悟してる。だから俺としては家柄があの子を諦める理由にはならないんだよね」
望むと望まないに関わらず跡目を継ぐさだめの玲王は、敢えて困難に立ち向かおうとする俺に「はあ?」と怪訝そうな顔をした。
「珍しく意欲的だな。全然凪っぽくない」
「自分でもそう思うよ。だけど他の男にいつ奪られるかもしれないって、もやもやしている方がめんどくさい」
「…すげーマジじゃん」
「そう言ったじゃん」
「その情熱をサッカーに向けてくれよ」
「やだ。サッカーはしんどい」
「あいつと恋愛する方が絶対にしんどい」
「それは既に心得てるってば」
俺も玲王も譲る気がなく、会話が堂々巡りになる気配を察知してどちらからともなく口を噤む。
玲王は真剣に考え込んで暫く足先でボールを転がしていたが、やがて何か思いついたようにポンと蹴り上げた。緩い回転がかかったボールは正確に俺の足元に届く。パシ、とスパイクの側面とぶつかり、小気味いい音がグラウンドに響いた。
「凪。その気持ちはお前が見つけたモノだ。気の済むようにしろよ。ただし俺は協力しねーからな。凪がフラれて気まずくなろうが知らぬ存ぜぬを通す」
「心配しなくても最初から玲王を当てにするつもりは…」
「あと一つ、忠告がある」
言いかけるのを遮って、玲王はずいと迫ってきた。俺が足裏で押さえているサッカーボールに片足をかけ、至近距離で得意気に笑む。
向き合った瞳の奥に青白く灯った炎は、濃紫の先にある夜明けを告げるかのように一際明るく意気揚々と躍っていた。その光に見入るうちに、玲王は自分の目論見に自信のある表情のまま、ひどく愉快そうに忠告とやらを曰わった。
「俺も親父も実力主義だ。例え名家の息子でも、人よりちょっと勉強やスポーツができる程度の半端者がうちに関わるのは許さねえ。つまり凪があいつの正当な彼氏だと御影家に認められるには、ますます俺と『サッカーで世界一になる』しかないんだよ」
「…結局そこに行き着くんだ」
「ああ。これまでの努力が一切無駄にならない合理的な目標だろ」
「そうかなあ」
合理的も何も未だにサッカーの魅力が理解できず、練習に身が入らない俺にはピンと来ない話だ。今度はこっちが淡い紅色のかかる空を仰ぎ見る番だった。
「選手になればいち早く身を立てられるんだ。十代で結婚だって夢じゃない」
「結婚って…告白もまだなんですけど」
「そういやそうだな。よし、練習はここまでにして今から告白しよう。この時間ならあいつも居残ってるはずだ」
玲王はゴールを決めた時のようにはしゃいだ様子で組みついてきて、俺の頭を抱えていない方の手で器用にスマートフォンを操作した。断る間もなく教室で待ち合わせる約束をとりつける。
(協力しないんじゃなかったっけ…)
矛盾に気づくが、指摘するのが億劫で黙っていた。自身の夢に俺を巻き込む理由を託けた玲王は楽しげで、「急いでシャワーを浴びようぜ」と俺の一歩先で威勢よく風を切って歩き始める。
勝手に話を進められながらも迷惑だとは思わなかった。彼女と最も親しい間柄である玲王が俺の恋を歓迎してくれるなんて願ったり叶ったりの展開だ。
後について歩く自分の足どりはいつになく軽やかに感じた。
Posted on 2024.04.28
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