はじめての彼氏と彼女

宮治

巨乳と標準語がコンプレックスの彼女と、クラスが替わってからその子のことが好きだと気づいた治の青春話。

※関西弁はエセです

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目次

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はじめての愛しい人

クラス替え~付き合うまでの治と彼女との馴れ初め。「1.はじめての彼氏と彼女」の前日譚にあたる話です。【2年生:春~秋】

三限目が終わり、次の授業の準備をしていると、教室の戸口の近くの席に座る生徒が私を呼びに来た。
見ると治くんがドアに寄りかかるようにして、廊下からこちらを覗き込んでいる。目が合うと気怠そうな表情を少し緩めて、ひらひらと私に向かって手招きをした。

たちまち教室中がざわめき、私と治くんの両方に浮いた関心が集まるのを感じた。遠巻きながらも不遠慮に寄せられる衆目をかき分け、足早に戸口に駆け寄る。

「どうしたの?」

表向き平静を保つよう努めたが、予期せぬ来訪に内心では戸惑っていた。

治くんとは高校に入学して最初の一年間を同じクラスで過ごした。でも二年に進級し、こうしてクラスが分かれてなお交流するほど、特別親しくなった覚えがない。

彼は授業中によく寝ていたし、バレーボールに注ぐような情熱を学業や同級生にこれっぽっちも向ける気がないように見えた。そのため呼び出されたのは大いに意外で、私の名前を覚えていたことにすら驚いていた。

「急で悪いんやけど、世界史の教科書を借りてもええ?俺のはツムに取られてしもうて」

治くんはのどかな声と口調で用向きを告げた。

稲荷崎高校内での宮兄弟の知名度は抜群だ。それほど親しくなくとも『ツム』とは治くんの双子の片割れである侑くんを指すことが察せられた。

そうして約一ヶ月ぶりに目の前に立ち、頭一つ分は上の高さから明るい瞳に見下ろされて、一瞬どきりとする。相変わらず長身で体格がいい。

強豪校のバレー部員らしくがっしりと大柄で、今日は四月にしては気温が低いせいか学校指定の山吹色のブレザーを着用している。ネクタイを少し緩めているのが二年生らしくこなれて見えて、同じクラスの男子生徒と比べても立ち姿が際立っていた。

「いいよ。ちょっと待ってて」

踵を返して自分の席に戻る頃には、治くんが私を訪ねてきた理由が大した用事ではないことが知れ渡り、注意を払う人は少なくなっていた。俗っぽい期待は教室内の喧騒にまぎれ、やがて朝方の霞のように消え失せていく。

(変だな。どきどきするのが全然おさまらない…)

困惑と緊張は周囲からの過度な注目が原因だと思っていた。それなのに「ありがとう」と律儀にお礼を言って教科書を受け取った治くんの姿が見えなくなっても、ずっと自分の心臓が走り続けているのが不思議だった。

*

図書室で自習をしていると、ふいに手元が白み、窓の外で運動部らしい明るい掛け声が木霊していることに気がついた。

伸び上がってグラウンドを覗いてみると、いつの間にか朝から降っていた雨がやんでいる。夏色の木漏れ日と水たまりを蹴散らす勢いで校門の外へとランニングに繰り出す、闊達な生徒の集団が見えた。

(!男子バレー部だ。今日は練習がある日なんだ)

遠くて顔は見分けられそうにないと考えながらも白昼に照り輝く銀髪を探して目を凝らした。

春先に教科書を貸して以来、治くんは今でもたまに文房具などを借りに来る。忘れ物をした理由は大抵「ツムに取られた」で、奔放な侑くんに穏やかな治くんが振りまわされるというのが宮兄弟の力関係のようだった。どうやら二人の性格は外見ほど似通ってはいないらしい。

(駄目だ、見つけられなかった…)

列の最後尾の生徒を成すすべもなく見送ると、何となくがっかりしながら再び机に向き直る。夏期講習が盛んな時期のためか夏休みの学校の図書室は空席が多く、先ほどからの夏晴れも相まって、一層のんびりとした空気が漂っていた。

つられて軽い眠気を感じる。参考書とノートを広げたままにして、一度席を離れることにした。

図書室を出て電灯の消えた校舎の廊下を歩き、開け放たれた窓の枠に両肘でもたれかかって深呼吸をする。吹奏楽部が奏でる高らかなトランペットの音が風に乗って聞こえてきた。

「…何しとるん」

声をかけられて何気なく振り返り、そこに治くんがいることに驚いた。黒い半袖のティーシャツを身に着け、男子バレー部のトレードマークである短パンを履いている。制服の時には隠れている剥き出しの脛が白く眩しい。同じような格好をした生徒を見かけたばかりなのに、治くんが着ていると新鮮に感じ、格別に光って見えた。

「勉強の息抜き。治くんこそどうしたの?」
「俺は部活で、休憩時間になったから友だちに頼まれた本を返しに来たん。まだ二年生なのに休みの日も勉強しとるんか。すごいな」
「私には治くんみたいに打ち込めることがないから、いつか見つけられた時に備えているだけ。治くんの方がすごいよ。この間のインターハイ、レギュラー出場して準優勝だったんでしょ」
「まあな。日本一にはなれんかったし俺一人の力やないけどな」

傑出ぶりを褒めると、治くんはやや照れた様子で頬をかいた。ぷいと窓の方に顔を逸らし、こちらを向いた耳の先が微かに赤くなっている。

かわいらしい反応に思わず口元が緩んでしまいそうになり、ぐっと息を詰めてすんでのところで堪えた。廊下には私達の他に誰もいないのに、初めて教室に来てくれた時のように心臓がばくばくと暴れている。

「…頼みがあんねんけど」
「?うん」

高揚する気持ちを宥めながら返事をする。

治くんは自分で口火を切ったのに、窓の外を眺めたまま、なかなか続きを言い出さなかった。ためらう素振りに、一体何をお願いされるのだろうと再び動悸の上がる胸を押さえた。

「その…俺に勉強を教えてくれへん?うちの主将はめちゃくちゃテストの点にうるさくて、赤点すれすれやと『ちゃんと勉強せえ』って叱られるん」
「そうなんだ。いつもしゃんとしてて厳しそうな人だもんね」

今代のバレー部の主将とは委員会が同じだった時期がある。老成した雰囲気を持ち、規律規範を重んじる落ち着いた人物であることが思い出された。

叱られた時のことを思い浮かべたのか治くんは居心地が悪そうに顔をしかめている。バレー一筋で学業は二の次の治くんからしてみれば、かけ離れた存在なのかもしれないと想像できた。

「いいよ。それなら侑くんも一緒に…」
「いや、ツムはいらん。内緒で頑張って出し抜いたる。あいつだけ叱られるのを高みから笑うたるんや」

普段と変わらない淡々とした口調で好戦的なことを当たり前のように言うのがおかしくて、今度こそ吹き出してしまった。実は勝ち気な性分らしい。

「わかった。二人で主将と侑くんをびっくりさせよう」
「!おう」

大きく頷くと、こちらを見返した治くんの瞳が先ほどとは打って変わり、きらきらと躍り始めた。それを見て浮かんだ私の笑みは純粋な喜びだった。

***

全体練習が終わり、各部員の自主練が始まった。今日はボールの感覚が掴みづらいような気がして、早々に切り上げるつもりで練習場の隅に座り込んだ。

もうすぐ十月になるというのに夏めいた暑熱は一向に立ち去る気配がなかった。肩で息をしながら頭からタオルを被って前を見ると、サーブを打つツムの背中が寝不足で少し霞む。慣れない予習をするために睡眠時間を削っているのが原因だった。

(勉強を教わることを思いついたまではよかったんやけどな…)

時間が経つにつれ俺がアホ過ぎて呆れられ、嫌われるのではないかと不安になった。自分の気持ちに気づいてから半年以上経つのに、何もかもあけっぴろげにできるほどの信頼関係には至れていない。

湧き上がってきた不甲斐ない思いをまぎらわせるために、タオルでガシガシと力任せに後頭部を拭いた。そうでもしないと前後なく叫び出してしまいそうだった。

「治、夏休み明けくらいからやたら真面目に勉強しとるらしいな。先生方がびっくりしとったで」
「はあ…そうなんですか」

主将である北さんが感情のない声でさらさらと喋りながら隣に腰を下ろした。蒸し暑くてみんな頭から水を被ったかのように汗だくなのに、一人だけ涼しい顔つきで整然としている。

(何て返すのが正解なんやろ…)

成績のための努力ではない。かといって中途半端な虚勢は見抜かれそうだし冗談で煙に巻かれるような人でもない。真正直に不純な動機を話すのも気が引けて、どう会話を続けたらいいものか困って下を向く。
じっと黙って俺を待っている様子だった北さんは潮時と見たのか、おもむろに口を開いた。

「時々図書室で一緒におる子のおかげやろ。惚れとるんか」
「…まあ、そうですね。けど最近は全然進展なくて、二人でおっても勉強するばっかで。そろそろ心が折れそうですわ」

図書室という場所がら、部員に目撃されるとしたら北さんが最初だろうと予想はしていたので、言い当てられたのに驚きはしなかった。それよりも自分の口から弱音が出たことの方が意外だった。

(自覚しとるよりも参ってるのかもしれんな…)
「折れとる場合か。お前と侑ほどではないがあの子も目立つやろ。『ちょっと大人しいけどスタイルええし関西弁でないのが新鮮でそそる』って言うてるヤツがおったで」
「何ですか、そいつ。そんなんひけらかして喜ぶ性格やないって、ちゃんとあいつを見とったらわかる筈です。乳がでかくて地方訛りのない女なら東京にいくらでもおりますよ」

知らない人間が好き勝手に言っているのがたまらなく嫌で、急に腹が立った。そして憤慨するのにまかせて口にしてしまってからサッと頭が冷える。話をしていた相手が誰なのかを思うと、青ざめる思いがした。

「落ち込んだり怒ったり忙しいやっちゃな」
「すんません、俺。北さんが言うてたわけやないのに…」
「…委員会で一緒になったことがあるが、確かに奥ゆかしい子やった。せやから今や飛ぶ鳥を落とす勢いの治にアプローチされてるなんて、思ってもみないのとちゃうか。無理してええ格好しようとせんでも、お前はうちの主力やし勉強もやればできるんやし、余計な気ぃ張らんで肩の力を抜きや」
「は、あ…?そういうもんですかね…?」

褒められた上に励まされた気がして驚いた。初めてというわけではないが、北さんが俺に向かってその類のことを口にするのは極めてまれだったのだ。

俺の隣で練習場の天井を眺める北さんの表情と声はいつもの如く一本調子だ。額面通り受け取っていいものなのか、それとも実は何らかの試練をふっかけられているのだろうか。判断がつかず混乱する。

「主将、ちょっとよろしいですか」
「すぐ行くわ。治、とりあえず睡眠は十分とれ。目の下の隈すごいで。判断も鈍っとるみたいやし調子崩したら本末転倒やろ」
「はい…」

色々と尋ねてみたかったが上手く言い出せずにいると後輩が北さんを呼びに来た。遠くにあった目の焦点が恐縮した様子の後輩に合い、俺に移る。

それからつい曖昧な返事をした俺が本当に言いつけを守る気があるのかを確かめるようにしげしげと見つめられた。瞬きの少ない両眼に、山奥の岩壁のようにびくともしない重厚で静謐な圧力を感じて、たじたじになる。

「わかりました、寝ますって!」
「そうしい」

後輩に続いて北さんが去ってしまってから、気が抜けて思わず溜息をついた。真意は図りかねたがきっと心配してくれたのだと、眠い目をこすりながら明るく受けとめることにした。

***

(治くん、急に改まって『部室に来て』なんてどうしたんだろう。電話じゃ言いにくいことがあるのかな⁠⁠)

昼食を済ませて教室を出ると、足早に指定の場所である運動部の部室棟へと向かった。しかし勝手がわからず、同じようなドアが並ぶのを眺めて立ち尽くす。バレー部の部室がどこなのかを尋ねようにも、誰も傍を通りかからなかった。

手持ち無沙汰に部室棟の屋根の向こうに広がる澄んだ空を見上げた。十一月の時節に相応しく、日光の下でも空気はひんやりと冷たく感じる。校庭の隅に立ち並んだ黄色い銀杏の葉が晴れた空に冴えて秋めいた日和だ。だが、憂鬱な胸のうちである今は味気なく映った。

(やっぱり勉強会のことかな…成績が上がったのにあまりうれしそうじゃなかったし)

一週間前に廊下の端で中間試験の成績表を見せられた時に得意満面の笑顔だったにもかかわらず、何故かそれがから笑いだと、すごくはっきりとわかったのだ。主将と侑くんを驚かすことができたのかも何となく聞けずにいる。

(春高に向けての練習が本格的になったし期末試験までには時間があるし、このまま話す機会がなくなってしまったら寂しいな。同じ勉強をするにしても他の人と一緒の時よりもずっと楽しかったもの)

新しいクラスメイトと仲良くなるほどに、治くんに感じる気安さが特別なものであることをまざまざと思い知っていた。独特なイントネーションと間合いに戸惑うばかりだったこの地域の言葉も、治くんが話すと柔らかく優しく聞こえ、親しむことができた。そういった持ち味は共に過ごす穏やかな時間の中で知り得たものであり、周りが評する『強豪バレー部の双子の花形選手』とは全く一線を画した治くん個人の魅力だと考えていた。

(だからと言って私がどうしたいとか、具体的な展望はないのだけれど…)
「来てたんや。気づかんくてすまんな。部室が汗臭い気がして換気しとった。ちょっとはましになったと思うから、よかったら入って」

私が立っていた場所からほど近い一階の扉が開いて治くんが顔を覗かせた。大きな体を屈めて外に出ると、部室のドアを押さえていてくれる。今日はやけにその慇懃な仕草が堂に入って見えた。

(何だか雰囲気がいつもと違う)

近づきながら観察すると、治くんは制服のシャツとブレザーのボタンをきっちりと上まで締めて折り目正しくネクタイを結んでいた。制服規則の緩い稲荷崎高校では珍しい、一分の隙もない正統な装いだ。髪型も毛先を寝かせて大人しめにスタイリングしている。

「バレー部で式典か何かあるの?」
「いや、そういうんやないけど。やっぱり今日はきちんとせなあかんと思って…変?」
「カッコいいよ。すごく似合ってる」
「まじか。時間かけてセットした甲斐があったわ」

前髪を撫でつける治くんの口調に、微かに警戒するような節を感じたが、せっかく二人でいるのに気まずくなるのが怖くて知らないふりをした。こちらの称賛に照れて、相変わらず率直でかわいらしい反応を返すのを見て胸の中がくすぐったくなった。先ほど声をかけられる直前に『具体的な展望はない』と考えたばかりなのに、このまま他愛のないことで笑い合っていたいと思った。

(馬鹿だ私…こんな瀬戸際で本当の気持ちに気づくなんて)

涙でにじんだ治くんの顔が、ぎょっとしてたちまち慌てふためく。

「急にどうしたん?やっぱり部室が臭くて気に障ったんか」
「…違うの。泣いたのは私自身のせいなの。自分のことも治のことも何もわかっていなかった。それを今やっと思い知って、ぐずぐずしていたのが悔しくて」
「俺のこと?」
「本当は成績を上げるのが目的じゃなかったんでしょう。それなのに頼ってもらえるのがうれしくて、一人ではしゃいで…話って勉強会をやめたいってことだよね」

治くんは広く造られた部室の靴脱場に立ち尽くし、ぶつけられた言葉を吟味している様子で、かなり長い間何も言わなかった。一方の私は唯一の出入り口をその背に塞がれ、立ち去ることも許されず黙って待つことしかできない。

(何で私、治くんの前だと平静でいられないんだろう…引っ越しが決まった時も、胸のことや喋り方をからかわれた時も我慢できたのに。よりによって好きな人にみっともない顔と言い分を晒して困らせるなんて最低だ)

また泣き出したくなった。

「…今日呼んだのは勉強会のことちゃうよ。俺、お前に惚れてんねん。『つき合おう』言おうと思うて…落ち込んどるところ悪いんやけど、泣くほど俺のことを考えてくれて正直めっちゃうれしいわ」
「え…」
「忘れ物をしたのも図書室で会ったのも勉強会も全部お前と話すための口実や。ほんまは一年の頃からずーっと好きやねんけど、あんまり喋れんかったし…まずは仲良うなろうとしとったら半年以上かかってしもうた。ぐずぐずしてたのは俺の方や」
「ええっ」

治くんは長い沈黙の間に態勢を立て直したらしく狼狽えた様子が消えている。むしろ飄々と、下を向いた私の顔を覗き込んだ。すっかり自分のペースを取り戻したようで佇まいに同年らしからぬ貫禄があった。

対峙する私は思いがけない告白に面食らって、どんどん溢れてくる感情を整理するのに手一杯だった。喜ばしいやら困惑するやら、ずれた憶測で明後日の方向に突っ走った自分が情けないやらでこの場から消え去ってしまいたいほどに恥ずかしい。

「勉強会が続くか思い詰めてくれてるくらいやから嫌いではないんやろ。つき合おう。な?」
「つ、つき合うって…」

いつまでも俯いてもじもじしている私に痺れを切らした治くんは、さらに背中を丸めて膝に手をついて目線を合わせ、念を押しながら、ずいと顔を近づけてきた。

「俺、本気やで。たとえお前の胸が小さかろうが関西弁喋ろうが好きになる自信ある。今日だってこんな畏まった恰好して真剣に交際を申し込みに来てん。浅い覚悟で言う男ちゃうよ」

カーテンの開いた窓越しに深く差し込む午後の日差しが、澄んだ瞳に四角く映り込んでいるのが見える。思わずたじろいだが、踵が靴脱場の上がり框に当たり、いよいよ逃げ場がないことを悟った。

「わかった、つき合うから…今は少し離れて話そう。ね?」

熱心に言い寄られてだんだん顔が熱くなってきた。ハイペースに打つ心臓の鼓動に合わせて上がる息を堪えるのにも限界だ。この距離の近さでとてもまともに話ができる筈がないと思った。

「…嫌や。俺と『つき合う』言うたな。もう彼氏と彼女やから、遠慮せん」

治くんはささやく声で断固として言い放った。顔の輪郭にごつごつとした指が添えられ、大きな影にゆっくりと全身が覆われる。

自然と下りた瞼の向こうで、そっと唇と唇が合わさるのを感じた。秋の終わりの外気と緊張で冷えた指先とはうらはらに、温かさが体に満ちるのがわかった。

*

二人で肩を並べて教室へと戻る廊下を歩いていると、治くんは早々に制服を着崩し始めた。ネクタイの結び目を緩め、ブレザーの中に着込んでいたニットの下でシャツの裾を大胆にスラックスの外に広げている。プロポーションのよさは正装の方が映えたが、格式よりも過ごしやすさを優先させた装いの方が似合っていると思った。

「…さっき一度だけ『治』って呼び捨てにしたん、覚えとる?これからはあれがええ。もちろんツムは『侑くん』のままな。俺の彼女やって知らしめんと」

立ち止まって廊下の窓ガラスを鏡代わりに自分の顔を映し、侑くんとお揃いのヘアスタイルに戻したところで治くんが言った。

「いいけど…そんなにはっきりと区別する必要があるの?」
「あるよ。頑張ったんは俺やもん。こんな大事なことを周りからツムと雑に混同されるとか、想像するだけで腹立つわ」

振り返った治は露骨に眉をひそめていた。

(そこまでむきになる問題なのかな…)

論点がいまいち掴めずに首を傾げるが、会話の続きを遮るように予鈴が鳴った。

「やば」と呟いて治は急ぎ足で再び廊下を歩き始めた。程なく追いつき、焦る横顔を見上げながら、治が何にこだわりを持っているのかを知りたいと思った。他の人が相手だと追究していいものか躊躇してしまうところでも、彼氏である治には遠慮せずに何でも聞いてみようと思えた。

「…今日電話してもいい?私、もっと治と話したい」
「ええよ。じゃあ部活が終わったら連絡するわ」

急な誘いにもかかわらず治はこともなげに快諾してくれた。それがうれしくて、はにかむ思いで目を伏せる。

ありふれた学校の一角が、治を中心に一変して輝き始めていた。

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