糸師兄弟の幼馴染

糸師凛

兄貴に惚れていると勘違いされている幼馴染の夢話。始まりはアレですがハピエンです。

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Time Flies

『お願い冴ちゃん…他に頼れる人が居ないの』

弟の嫁に泣きつかれたのが一昨日の夜。貴重なオフを潰し俺はノコノコと凛のマンションに来ていた。要件は『凛が出場する試合を一人で観るのが寂しい』との事だ。俺の親もあいつの親も連れ立って会場で観戦するため不在らしい。そこで留守番のお供として凛の兄である俺に白羽の矢が立ったのだ。

っつーか俺ほどのスーパースターを顎で使うのかよ。いくら昔馴染で家族に似た間柄から本当の家族になったとはいえ少しは遠慮しろ。イラつきながらもマネージャーに頼んだ土産の袋を両手に下げていた。妊婦でも問題なく食べられるものを見繕ってもらったのだ。

通されたリビングでは試合前に組まれた特番が流れ凛がテレビに大写しにされていた。対して俺の隣にいる嫁の背中には『SAE』の文字。所属チームが異なるのでデザインはもちろん、エンブレムも背番号も凛が着ているものとは全く違う。

「何で俺のユニフォームを着てるんだよ。凛の応援なんだろ」
「う…実は凛とケンカしているの。うちには凛以外のだと冴ちゃんのしかなくて、こんなちぐはぐな事に…」

当てつけな上に消去法かよ。ますます憎たらしい。

頭にきたついでに兄貴として一肌脱いでやろうと思いついた。肩に腕を回して抱き寄せスマートフォンの画面に写す。せり出した腹が入るよう角度を調整し、なるたけ仲睦まじく見えるよう顔を近づけた。

「…何、いきなり」
「大した意味はねぇよ。記念だ、記念」

撮影したツーショット写真は所属チームのSNS担当に送信する。一応「弟の嫁と」とキャプションをつけたが、写真のインパクトに圧されて気にかけるフォロワーは少ないだろう。案の定、写真はアップされた直後からものすごい勢いで拡散され始め、着ているユニフォームのせいか腹の子が俺のだと勘違いしているコメントもちらほらあった。

反響の大きさに満足して画面をオフにしようとした瞬間、見計らったかのように凛からのメッセージが表示される。

【今すぐ離れろ】
「仲直りできて良かったじゃねぇか」
「むしろこじれた気がするんだけど」
「子どもの父親が誰なのかは凛が一番よく知ってるだろ。ちょっとくっついた写真くらいで嫉妬する方がガキなんだよ。お前もいい加減、着替えてこい。そんな真似をしなくても凛の中での次点は間違いなくお前だ。サッカーの次にだけどな」
「そ、そうかな。でも冴ちゃんが言うなら間違いないよね。ふふ、サッカーの次かぁ。すごく上の位置に居るね、私」

惚れた男に自分よりも大切なものがある事を喜ぶ女を俺は他に知らない。相変わらずの変態ぶりだ。昔は『冴ちゃんとサッカーでいっぱいの凛が好き』だった。我欲が出てきただけマシになったのかもしれないが、その自己犠牲精神が凛のエゴを増幅させている自覚が未だにないのか。末恐ろしいな、こいつ。

「惚気ている暇はねぇ。もたもたすんな、試合が始まっちまうぞ」

放っておいたらいつまでもにやにやしていそうなのを奥の部屋に追いやる。あいつがあの調子なら凛の奴、案外まだ伸びるかもな。所詮賑やかしだと嘲笑っていた特番の音量を落とし、画面の中の躍動に集中した。

*

試合は例によって接戦となった。相手チームに潔世一が居るのだ。

ゴール前での緊迫した攻防の度に祈るように組んだ指が白くなるほど両手を握りしめる。そんなに力んだら産まれてしまうんじゃあないだろうか。「予定日はもう少し先」と言われてもピンとこず、調べたら正常な出産期間でも三十五日もバッファがあるらしい。

「おい、あんまり興奮すんな…」
「見て冴ちゃん!凛が前に出たよ!」

試合終了ぎりぎりのタイミングだった。潔世一にしつこくつきまとわれるのをものともせず、凛が蹴ったボールは甘さのない綺麗なストロークを描いてゴールネットに食い込む。歓声が地響きとなって会場を震わせるのが画面越しでもわかった。

「やったああ!…はっ」
「は?」
「冴ちゃん…は、破水したかも」
「………あ?」

破水って、あの破水か。理解が追いついたのと同時にサッと血の気が引いた。言わんこっちゃねぇ。

それからはもうてんやわんやだった。「陣痛が来てないから慌てなくていいよ」とのんきに言うのを急かし、入院用にまとめてあった荷物を抱えてタクシーで産院に向かう。

途中、両方の親と凛に連絡をした。親達は全員揃って会場に居るが試合が終わった直後で混んでいてしばらくかかりそうだ。凛は勝利インタビューの真っ最中でタクシーのラジオから凛の声が流れていた。淡々とした受け答えから察するに恐らくまだ知らされていないのだろう。

「冴ちゃんが動揺するところを初めて見た」
「うるせぇ。普通ビビるわ。あークソ、久々に焦った」

俺は傍目にも相当緊張していたらしく運転手と産院のスタッフに「大丈夫ですよ、お父さん」と励まされてしまった。説明が面倒くせぇから否定しなかったが、その度にこいつが笑いを堪えていたのがムカつく。こっちは個室のベッドに寝かせられたのを見て、やっと人心地がついたところだっていうのに。

「冴ちゃんが居なければもっと心細かったと思う。ついて来てくれてありがとう。さすがは凛のお兄ちゃんだね」

何だ今の。すげぇ母親っぽい。凛とケンカしたとむくれていたのが嘘みたいだ。

幼馴染の意外な一面に妙に感心してしまい言葉を失っていると、にわかに廊下が騒がしくなる。血相を変えて部屋に飛び込んできた凛を見て、さっきまで俺もこんな顔をしていたんだろうなと思った。

「お前…!インタビューの後に聞いて急いで車に乗って、でも渋滞にはまって…」
「だ、大丈夫!どこにも異常はないし陣痛もまだだし、何なら出産は明日になるだろうって。きっと凛のスーパーゴールに感動して早く会いたくなっちゃったんだよ。頑張ったね、凛」

凛は場所を譲った俺に目もくれず、差し出された手に導かれるかのようにふらふらとベッド脇に座り込んだ。ユニフォームを着替えたのに既に汗だくで、ずっと肩で息をしている。まさかこいつ、フル出場の後なのに渋滞に耐えられず自力で走ってきたのか。見かねて傍にあったバスタオルを頭に掛けてやる。嫁の手を握りしめる凛の両手が震えていた。

「あー…俺、親達を迎えに行ってくるわ。迷ってるかもしれねぇし」

気をきかせて個室を出る事にした。大の男が二人も詰めているとむさ苦しい上に、凛は今の姿を俺に晒していたくないだろう。

とっくに消灯された廊下を歩きながらメッセージを追っているとふいに後方が明るくなった。「兄ちゃん」と弱々しい声で呼びかけられる。

凛は引き止めたくせに中々続きを言わなかった。被ったタオルと部屋の明かりによる逆光に遮られて表情はよく見えない。壁に貼られた掲示物に目をやり、じっと準備ができるのを待った。サッカーの外ではなるべく良い兄であろうと決めていたからだ。

「…何だよ」
「その、………あいつにずっと付き添ってくれてありがとう。助かった」
「…おう」

想定していたよりもずっと素直に礼を言われたので受け止めるよりも先に混乱する。無粋な返答はその表れだった。凛は俺に構うことなく「それだけ」と呟くように言うと、踵を返し静かに扉を閉める。辺りはまた薄暗闇に包まれた。

得体のしれない感情に飲まれながら外に出ると空に星が輝いていた。明るい時分よりも和らいだ夜気は頬に心地よく親達が到着するまで束の間の息をつく。

弟に子どもが産まれる。そして俺は叔父になるらしい。俺の後ろを従うだけだったひ弱な凛はもう何処にも居ない。生まれ落ちた子どもの存在もまた別の変転を起こすのだろう。

(…明日も来てやるか)

あの様子じゃあ凛が付添役に足るのか甚だ怪しい。確かスポンサーの顔を立ててクソどうでもいいインタビューを受ける予定だったはずだ。マネージャーに電話をかけながら見覚えのある車のヘッドライトに手を上げた。

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