煉獄さんの許嫁

煉獄杏寿郎

炎柱煉獄さんの婚約者との日常を綴る夢話。 婚約は結んでいるのに、まだまだこれからな二人。頼れる兄貴な煉獄さんに甘やかされる話が中心です。

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目次

序章

※暗めです

本編

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思慕と追想

広場の一角に七輪を構え、長い串を刺して網の上で皮を炙ると、山女魚はたちまち香ばしい匂いを立てた。

屋根廂の下にかかる庭石に座るよう促され、そのまま物珍しくて見物していると、炭火は風も無いのに時折大きく揺らぐ事に気がつく。煉獄様はその度に笑うのを止めて具合を確かめなくてはならず、頻繁に網を外すので調理は中々進んでないように見えた。

「いやあ、貴女が深窓の姫君である事を失念していた。休んでいるのを邪魔しては悪いと遠回りをしたのが裏目に出たな!次からは伝令を手配しよう!」

姫などと揶揄され尚も火を吹き飛ばす勢いでからからと笑われるが、言い返せなかった。幼い頃から仕え人が世話をしてくれるのが当たり前だったのだ。身支度は一人で何とかこなせるものの、他はからきしだ。隠が帰った後に空腹に気がつき台所を探るが、生の米や正体のわからない瓶詰めばかりで手を出せず、じっと横になり消耗を抑えるのが精一杯だった。

先にどこからか調達してきてくれた握り飯を頂きながら溜息をつく。固い決意も飢えには勝てないのか。不自由がないよう守られてきた身である事をまざまざと実感した。

「よし、出来たぞ!熱いから気をつけて食べなさい!」
「…ありがとうございます」

串に刺した魚を手渡される。見事に肥えており、両手で支えて尚重い。しかし、箸も皿も無くどうやって食べるのだろう。

隣の石に腰を下ろした彼は大きく口を開けて躊躇なく腹にかぶりついていた。噛み跡から溢れた柔らかな白身が如何にも美味しそうだと思ったが、その所作を真似る事が出来るかはまた別であった。道具を使わずに物を食べるなど、祖母が存命であれば怒り狂ったであろう。

私がいつまでも口にしようとしないので見かねたのか「器を用意した方がいいか」と尋ねられた。丁重に辞退し、湯気の立つ魚に向き直る。もう此処は勝手知ったる生家ではないのだ。これくらい倣えなければ外で暮らしていく希望は潰えたも同然だ。

言われたとおりによく吹き冷まして齧ってみると粗塩が少し辛かったが、美味しかった。身は口に含んだ端からほろほろと崩れ、舌の上にまろい脂の味が広がる。炙った皮は微かに苦味があり、ぱりぱりとした食感が楽しかった。こうして直接口を付けると一遍に味わえるのか。暫く無心で食べ続けた。

「この辺りでは新鮮な沢の魚は珍しいだろう。気に入ったのであればまた獲ってくる」

次があるのか。当たり前のように言われて、返答は喉につかえた。私の無能ぶりを目の当たりにした筈だ。自分の世話すら禄に出来ない者を養って、彼に何の益があるのだろう。

「煉獄様は、」
「杏寿郎と呼んでくれるのだろう。昨日の席でそう言ったのは貴女の方だ」

私を見つめる瞳の中におもしろがるような光を認めて続きを飲み込んだ。板敷きの通廊に置かれた彼の愛刀は、私が手を伸ばせば届く場所にある。試されているのか相手にされていないのか、はたまた別の思惑があるのか─相変わらず腹の中が読めない男だ。

「まだ俺を殺したいか」
「…お傍におりましたら、いずれそうしたくなるかもしれません」
「はは!それは気が抜けない。良い修練になりそうだ」

侮られたくない一心で虚勢を張ったが、声を上げて笑われた。冗談と捉えたにしても、何が可笑しいのか皆目わからない。ふいに頭が重く感じた。明るい陽射しが目に痛く、そっと瞼を閉じてやり過ごす。

「─杏寿郎様は、わたくしをどうなさるおつもりなのですか。ご覧の通り身一つ、差し出す物は御座いません。立派なのは社に冠された家名だけ。その名すら人々の信仰が移ろい父母が急逝した今、張りぼてに成り果てました。わたくしに家業を盛り立てる才は無く、業を煮やした親族が厄介払いをする目的で画策したのがこの縁組みなのです」

心に設けた堤は一度決壊すると止まらなかった。胸の内に溢れるのは在りし日の家族との思い出ばかりだ。あの頃に戻りたいと、くよくよするから兄様は私を疎ましく思うのだろうか。人々の思惑が奔放に渦巻く今の社殿こそ、家督を継いだ兄様が真に望んだものなのだろうか。

「わたくしは…鬼よりも人間の方がよっぽど恐ろしい」

己の体内を黒く蠢く妖異なものに気がついていた。広場の眩しい砂地と滴るような緑の植栽はたちまち色褪せ、先刻まで夢中になった山女魚も輝きを失う。

もう駄目だ。持っていられない。手放して楽になってしまおうと指の力を抜いたその時だった。

「もう大丈夫だ!」

明朗な声は真っ直ぐに私の心を打った。はっとして顔を上げると、何か言う間もない程に素早く抱き寄せられる。本気の悲鳴が喉を昇りかけた。家族以外の男性に身を預けるなど初めての経験であったし、彼の体は私が知るどの人よりも大きく分厚かった。

声を出さずに済んだのは杏寿郎様が続けて優しく語りかけてきたからだ。「辛かっただろう」と囁く声音は先刻とはうってかわり、赤子に子守唄を聞かせるかのように和らいでいる。肩に添えられたその手の温かさと相まって次第に心が落ち着いていった。それなのに涙はみるみる膨れ上がる。

「後見人殿には既に断りを入れてきた。貴女の心が定まるまでこの屋敷に居ると良い。俺も此処を拠点を移し、貴女の安寧を守ろう─隠れ蓑と用心棒が一度に手に入ったと大きく構えていなさい。できる限り助けになると約束する」
「…どうしてそのように心に掛けてくださるのです。わたくしは貴方に何一つ渡さないと申し上げているのに」
「弱っている者に対価を求めるなど人道に悖る。ただ、敢えて俺自身の言葉を付け加えるのであれば、そうだな─」

声が僅かに遠くなった事に気がついた。見上げた顔は遥か遠く高くに向けられており、ふり仰いだ先に仄白い月を見つける。澄み渡った真昼の空に浮かぶそれは陽炎のように淡く、今にも溶けて消えてしまいそうだった。

「…亡き母の教えに沿う為だ。人を助けるのが俺の責務。それを全うするまでだ」

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