煉獄さんの許嫁

煉獄杏寿郎

炎柱煉獄さんの婚約者との日常を綴る夢話。 婚約は結んでいるのに、まだまだこれからな二人。頼れる兄貴な煉獄さんに甘やかされる話が中心です。

【R18】コンテンツについてはこちらをお読みください。

目次

序章

※暗めです

本編

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潜む熱

「よもや─許嫁に殺されかけるとは」

二人きりの部屋で瞳が妖しく光る。懐に忍ばせていた小太刀は彼の手に渡ると細く小さく見えた。何故こんなものでこの男を仕留められると思い込んでいたのだろう。自分の浅はかさに目眩がした。

(失敗した…ここまでだ。何と呆気ない)

死に際は走馬灯が巡ると聞く。しかし、瞼の裏は暗いままだった。それだけ取るに足りない人生だったということか。喜びも哀しみも人並みにはあったような気がするのだが。

絞り出すつもりで眉間に力を入れる。そうしてやっと浮かんだのは侮蔑をはらんだ兄の顔だった。

「お前はつまらない女だ」

冷えた声まで聞こえた。今際の際にまでこの仕打ちとは如何に。あまりのことに激情が迸り、再び両の眼を開かせた。

(死ねない…死にたくない!)

はっきりと内なる自分が叫ぶ。

射殺すつもりで鋭く視線を向けた男は「ほう」と感心したように呟いた。「ふむ」と唸り、片手でぽんぽんと白刃を投げては受けるのを繰り返す。

「刺客か。誰の差し金だ」

そう問われても答えることはできないのは真に後ろ盾がないからだ。許嫁の立場を利用し名家の嫡男を手にかけ自分の名を汚す─全て一人で企てたのだ。

目的は仕返しだ。私という犠牲の上に永らえる家などさっさと滅びてしまえ。川に流された自分の亡骸が波に髪を揺蕩わせ、やがて海に辿り着くのも乙ではないか。そう考えていたのに。

(─…生きたいと、思ってしまった)

両親が御身をかけて慈しんだこの身を自ら投げ出すなど、できる筈もないことに今更気づいたのだ。しかし、身勝手な暗殺者に情状酌量の余地はない。男は─煉獄杏寿郎は容赦なく私を殺すだろう。

噛み切った唇から溢れた血潮が口の端から流れる。拭う間もなく手の甲に落ちて爆ぜ、彼の座る敷布に赤い飛沫を散らした。

「余程の事情を抱えていると見受けるが、俺はみすみすこの命をくれてやる訳にはいかない。しかし、ここで追い返せば貴女は変わらず苦界で生きるのだろう。縁のあった者としては寝覚めが悪い。さて、どうしたものか」

口元だけの笑みを絶やさず饒舌をふるう。鷲に似た瞳は私を通り越したどこか遠くを眺め、右手は相変わらずぽんぽんと刃物を放りもてあそんでいる。隙だらけに見えたが、動かぬ方がいいと判断し、ひたすらにじっとしていた。私の焦りに呼応するかのように白刃が宙空を踊る速さはどんどん増していく。

突然、どすん!と鈍く大きな音と共に、座ったまま飛び上がるのではないかと思う程の衝撃が膝下を伝った。びりびりと部屋全体が揺らぐ。

震えが止んだ頃に辺りを見回すと、先刻まで彼の手中にあった刀が目の前の布団を貫通し、柄のすぐ近くまで床に埋まっていた。短い部類とはいえ刃渡りは私の腕くらいはあった。たった一突きでこれか。思わず鳩尾を押さえる。

「決めた!その命、この煉獄杏寿郎が預かろう!」
「…は?」

気がふれたのか。はたまた戯言のつもりなのだろうか。恐怖と戸惑いで口がきけずにいる私を置いて、男はまるで市中の井戸端であるかのように朗らかに話を始めた。

しかし、此処は会食の途中に目を回した彼の為に料亭が誂えた部屋であり、私達の間には依然刃が突き立てられている。不吉な状況に下がりきったと思っていた血の気が更に引いた。最早膝の上に揃えた自分の拳は雪よりも白い。

「家同士が決めたとはいえ許嫁─引き受けるのが多少早かろうが、問題はあるまい」
「あの…」
「俺の屋敷は広いぞ。部屋も十二分にある。ああ、本家とは別宅である故、気を遣うことはない。さしもの俺も、父と年頃の弟が居る家に女性を住まわせるほど野暮ではない」
「その、」
「鍛錬するのに庭が欲しくてな、一人で住むつもりではあったのだが、部屋数がやたらと多いのだ。いくつかを物置にしてもなお余っている」
「待っ…」
「泊まる場所があるのだから来いと誘うのだが、他の柱も隊士も一向に乗ってこない。いやはや、後進の育成を胡蝶にばかり任せていては、長く続く炎柱としては」
「わたくしの話を聞いてくださいっ!」
「うむ!聞こうではないか!」

自分でも驚くほど張りのある声が出た。男は喋りちらしていた口を噤み態度を一変させ、よく躾けられた忠犬の如く私の言葉を待つ。悪びれもせず夕焼け色の瞳を輝かせ、吟味するかのように見つめられた。

(調子がくるう…)

猛々しく横暴を極めるかと思えば、請われるがままに押し黙り寝首をかこうとした者の言葉に耳を傾けようとするなんて。戯れにしても趣味が悪い。いや、それとも彼は本気で─胸の奥にある何かが揺り起こされる気配を察知し、そこで思考を止めた。これ以上醜態を晒すべくもないと潔く額づく。

「…御言葉を遮り誠に申し訳ございません。わたくしの定めは今世にはなかったのだと諦めます。逆賊にまで情けをかける煉獄様の慈悲深さ、この胸にしかと刻みつけて参ります」

喋りながら一度は火がついた志が急速に燻っていくのを感じていた。涙を流す気力さえも間もなく底をつくだろう。目の裏の暗闇に浮かぶ絶望を知り、このまま人知れず消える事ができたならばと浅はかにも考えた。

「…貴女のような麗しい方が自らを諦めてしまう程に、今の人の世は暗澹たるものなのか」

私はそれに答えなかった。俯いたまま沈黙を貫く。

永遠とも思える間に日が傾き、夕日が彼の赤毛を燃え立つように輝かせる頃に、煉獄杏寿郎は突如として「よし!」と膝を叩いて声を上げた。驚く私を余所に足を組み直して居直ると、ずいと顔を近づけてくる。その瞳に浮かぶのは狂気か、慈愛か。見定める前に再び大きな声で話し始めた。

「先の言葉を違える事を許して欲しい─その命、この煉獄杏寿郎が貰い受けた!」
「………わたくしは…」
「捨て置くつもりなのだろう。その前に拾ったのだ!俺が好きにしていいだろう」

予想を超えた成り行きだった。ただ目を見はる事しかできない。私に残された価値は一つ─それに思い当たり両腕で自らの体をかき抱いた。

「寒いのか。日が沈む前に移動した方が良いな!」

傍らにあった肌掛けを寄越し、尚も後退る私に取り合わず、部屋の外へと声をかける。黒ずくめの服装をした数人が音も無く参上し、無人であると思い込んでいた私を更に仰天させた。全員一様に目だけを出した帽子を被り、容易に見分けのつかない異様な集団だった。

他の者が荷物を運び込んだり部屋の片付けに勤しむ中、小柄な一人が心得たように進み出る。返事の声から察するに女性であるようだった。

「私事ですまないが、彼女を俺の別邸へと送り届けて欲しい」
「…!わたくしは何も承知しておりません!」
「いいや、俺が引き受けるという話で終いだ。俺はこれから任地へ発つ。屋敷の物は好きに使って良い。一晩くらい不自由はないだろう。ああ、そうだ─」

羽織った外套に縋る手を握られる。反射で飛びすさろうとしたが、それよりも早く顔を近づけてきた。私の怒りや戸惑いなど全く意に介していない。己の非力さが呪わしく、久方ぶりに涙が込み上げてくる気配を感じ慌てて瞬いた。

「…怖がらないでくれ。我々は決して貴女に危害を加えない。明日には戻る。それまでゆっくり休んでいなさい」

これまでの勇ましさが嘘のような優しい声音だった。その顔は残照の影の中で一層憂いを深くし、ぞくりと肌が粟立つのを感じた。

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