夢うつつ─夜明け前
明け方に火が大きくなるのを待ちながら食材をひたすら洗っていたことを思えば、現代の台所は便利が過ぎる。忍び込んでくる外気に身震いすることもなく、スイッチひとつでお湯が沸く。
昔と同じ時刻に起きる習慣が抜けず、利便性が生んだ暇を却って持て余していた。大正の頃と変わらずせかせかと家事に勤しんでしまうのは、せせこましい性分なのだと思っている。
「ちょっとやり過ぎかしら…」
斜めにカットし断面を合わせて作ったハート型のだし巻き卵を前に首を傾げた。ともすると煮物ばかりの時代遅れな彩りになってしまうので、朝の時間の大半は現代的なお弁当作りの研究に注ぎ込まれている。
可愛らしく仕上げる為の情報も道具も世の中には溢れているが、表向きは独り暮らしの男性の持ち物として適しているのかは私の裁量にかかっていた。量を確保しつつ食後すぐに動けるよう消化の良さに配慮、食材を様々なモチーフに仕立て味も見た目も賑やかしく、かと言って子どもっぽくなり過ぎず、出来れば同年代の伴侶の存在を匂わせ周囲へのささやかな牽制を─
「他の生徒のに比べれば随分と慎ましい」
言うが早いか手が伸びてきてハートの片方を攫った。
小さな形に込められた卑しい策略を見透かされていないかどきまぎするうちに、彼は黙々と出汁巻き卵を咀嚼すると「美味い」と呟いてぺろりと指先を舐める。私のすぐ後ろに立つその姿はあの頃よりも更に筋骨逞しく、また大きく見えた。青年の盛りの完成された美がそこにある。
咄嗟に弱々しい自分の体を制服ごと抱きしめた。手足は年相応に伸びたものの体つきは華奢で、同級生に比べても直線を描いている。彼の隣に並んでも、とても恋人には見えない。ましてや、夫婦など尚更だ。
神様は残酷だ。再び同じ時代を生きる機会を与えてくれたのに、前世のままに年齢を近しくすることを忘れてしまったらしい。入学式で教師陣の中に彼を見つけた時には喜びよりも先に目の前が暗くなった覚えがある。教師と生徒など絶対不可侵の間柄ではないか。お互いに憶えが無ければ、再び関係を結ぶなど到底不可能だっただろう。
冨岡先生─もとい義勇さんは私の懸念を余所に、まな板に残された片割れを躊躇なく口に運んだ。「美味い」ともう一度呟くと、今度はことことと音を立てる鍋の中を検めようとする。まるで四六時中お腹を空かせている雛鳥のようだ。冷ましていたおにぎりを引き寄せて隠すと、しゅんとあからさまに肩を落とした。
「少し早いですが、朝ご飯にしましょう。テーブルを拭いていただいてもよろしいですか、旦那様」
途端に目を輝かせ、布巾を受け取る夫の様子は多幸に見えた。そこには重い責務を自らに課した剣士の面影はない。失った全てを取り戻し、濃い悲愴の色も消え失せていた。
歳も立場も変わってしまい困難が予想された二人の縁談をまとめた上に、関係を隠匿する代わりに引き続き同じ学校に通えるよう話をつけてくれたのだ。進路も私の好きにしていいと言ってくれている。私の使命は前と変わらず、彼の望む生活を陰からそっと支えることなのだ。背中に手を回し、エプロンの紐をきつく締め直した。
「ありがとうございます、義勇さん」
寄せた頬をくすぐる髪の房からは、昔と全く変わらない義勇さんの香りがした。
Posted on 2021.03.05
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