花と蝶
穏やかに、たおやかに。
周りから求められている胡蝶しのぶでありたいのに。目の前の二人がそうさせてくれない。血管の浮いた自分のこめかみを人差し指でなぞって溜息をついた。
「隊内での私闘は禁じられていると、ついこの間も言ったような気がするのですが」
怒鳴っても仕方がない、と努めて優しく言ったが、継子は仏頂面であさっての方を見たまま黙っていた。
包帯の下の白く滑らかな肌は見る影もなく、ひっかき傷からは血が滲み、思いきり叩かれたのか腫れている所もあった。相手の隊士も隊士だ。女の子相手に容赦がない。喧嘩を止めた人によるとお互い相当に興奮していたそうだから、刃傷沙汰にならないだけましだったと喜ぶべきか。
「黙っていても状況は変わりませんよ」
意図して声を尖らせた。
私の前に座るもう一人、現場に居合わせたというカナヲから事情を聞くのは最初から諦めていた。庭から迷い込んできた蝶をふわふわと視線が追い掛けている。心ここにあらずといった様子だった。
男性と同じ意匠の黒い隊服姿でむっとしたまま押し黙る彼女と、私のお下がりの着物を着せられたカナヲは、同性なのにさながら雛人形のように可愛らしかった。問題は本物の人形のように揃いも揃って口をきかないということだ。
良くないと思いながらもう一度溜息をついてしまう。そして考えてしまうのだ。こんな時、姉さんならどうしただろうと。
「…カナヲは関係がありません」
相手の隊士がカナヲにちょっかいをかけたのを止めたのが原因だと当たりはついていたのだが、意地でも庇うつもりなのか。隊士ではないカナヲがきちんと対応していれば、体にも関係にも傷を成すことはなかったとは思わないのか。心意気は立派だが、実直過ぎて不安になる。鬼を斃すという目的のもとに集まってはいるが、組織が大きくなるほど一枚岩ではいられないのが世の常というものだ。
「貴女個人の問題だというのですか」
「そうです。感情を抑えられなかった私の未熟さに非があります」
「詳細な理由は教えてくださらない」
「…言いたくありません」
形式上の尋問のつもりだったが、ここまではっきりと非を認められると、こちらとしても罰を与えなければならない。しかも短期間に同じ注意を複数回受けている。
そう告げると、びくりと体が震えた。長い睫毛を伏せて唇を噛んでいる。思い描いたのは折檻だろうか。相当に厳しい育手の元で修行をしてきたのだろうか。
怯えている様子に毒気を抜かれた。しっかりしているように見えてその実、私よりも年下なのだ。ここにきて初めて見せた素直さに、いっそ可愛らしく思った自分に苦笑いしそうになった。
「そうですねえ…罰はこの屋敷のお庭の草むしりにしましょうか」
のどかな陽光に照らされている部屋の外を指し示すと、拍子抜けしたように目を丸くし、ぱちぱちと瞬きをした。庭といっても鍛錬場もあるし場所によっては殆ど人が立ち入らず下草がぼうぼうに生えている所もある。おまけにこの陽気だ。四半刻もしないうちに肌がちりちりとしてくるだろう。女の子に対する罰としては中々に意地悪だと思うのだが、目の前の継子はふわりと口元を緩め、深々と礼をした。
「お心遣い感謝いたします」
固い蕾が綻び内側の鮮やかな色彩に気づかされたような─美しい笑みだった。
***
何て重く大きなひと振りだろう。技に桃や梅の花の名前がつく『花の呼吸』だが、同じ技でも大輪の牡丹を連想させた。姉さんの剣技は呼吸の名に相応しく可憐だったが、この子のはむしろ豪奢で『華』という字を当てた方が良さそうだ。
上背があり手足も長いのがその一因か。華奢な見た目に反して筋力もありそうだ。甘露寺さんのような特異体質なのだろうか。周りにいた鬼の頸が盛りの終わった椿のように、ぼたぼたと音を立てて地面に落ちた。
「師範、終わりました」
「ご苦労様です」
「ありがとうございます」
労いの言葉にも表情は変わらなかった。アオイ達と蹴鞠やお手玉に興じている時は楽しそうに大きな声をあげて笑うこともある。一頻り仏頂面なのは私の前でだけだ。単純に疎まれているのだろうか。暗い森の中でも宝石のように煌めく綺麗な瞳を真正面から覗いても、硬質な光を返すだけで何も読み取れはしない。
(未だに接し方に迷うのは、この子の本当の師範は姉さんだから─)
年齢と隊歴の長さを考慮され私が姉さんの後に立ったが、この子は『花』の使い手であるにも関わらず『蟲』の私の継子になった。柱の正当な継承者は自分だと怒っているのかもしれない。それを尋ねて明らかになってしまう方が、今後に支障をきたすだろうと聞けずにここまできてしまっている。
(寄る辺となる花がなければ蟲は生きられない…剣技を継いだ貴女は、私よりもずっとは姉さんの後継に相応しい)
「他にも鬼が居ないか見回ってきます」
「隠と共に行ってください。決して一人にならないように」
また驚いたように目を丸くした。そんなに私に優しくされるのが意外なのだろうか。数人の隠を連れて闇に消える背中を見送り、反対方向へと歩みを進めた。
***
「傷の手当をさせない?」
そうなんです、と手伝いの子達は声を揃える。先の戦いで負った裂傷は浅くなかった筈だ。優先して処置室に運び込んだのに「ものすごく抵抗されました」「あの傷で暴れるんです」と涙声で訴えられ、眉間に力が入る。
(そういえば、あの子が手当をされているのを見たことがない…ただ一人、姉さんを除いて)
「これまでは検診を含めてカナエ様が全てお一人で担当されておりました」
「私達はお手伝いをした事はありません…しのぶ様なら、と思ったのですが」
私とて立ち会ったことすらない。しかし、標を見失いおろおろとする子達を前に、真正直に言うには憚られた。
「私の方で引き受けましょう。念の為、人払いをお願いします。何か事情がおありのようですから」
*
「怪我人を追い回す趣味はないので、大人しくしていただけませんか」
逃げ込んだ棚の影に呼びかけると「嫌です」と低い声が聞こえた。床にはありとあらゆる治療器具が転がっている。自分で処置を済ませようと試みたのか。しかし、問題の傷は背中にあるのだ。人の手を借りなければ到底届きそうもない。
まるで野生動物のようだ。ぎらぎらとこちらに向ける瞳には剥き出しの警戒と敵意が感じられる。姉さんにはこのような態度はとらなかったのだろう。でなければ事態はとっくに明るみになっていた筈だ。
「いい加減にしてください。姉はもう居ません。残された者で協調しなければならないのに、手当をされたくないなどと…みっともなく意地を張るのはお止しなさい。姉の不在が辛いのは皆同じです」
噛み締めた奥歯がぎりりと鳴った。姉と同じ─いや、姉を凌ぐかもしれない使い手が、このようなつまらないことでじたばたと─とても見るに耐えない。答えを待つが、訴えに影が動く気配はなかった。
時間の経過と共に呼吸はあからさまに乱れ気管が狭まった音がする。傷が悪化し熱を持ち始めているのだろう。このまま体力が尽きるのを待つか。それとも一度退室し換気窓から催眠剤を撒こうか。師範と継子という間柄なのに、手荒な手段しか思いつかない。それ程に私とあの子とは隔てられているのだ。
(気迫に飲まれては駄目。いつものように笑顔を見せれば、この状況下だもの。きっとあの子も心を開いてくれる)
にこりと笑い、努めて声を明るくした。
「痛ましい…可哀想に。普段のように息をすることすら苦しいのでしょう。楽になる薬を処方してあげます。その為にも一度傷を診せてください。私とてこの距離で問診が可能な程、万能では」
「…手当は要りません。放っておいても、どうとでもなります。誰にも、触らせない」
びきりとこめかみが鳴る。仲良くやるのは無理そうだ。
突きの要領で床を蹴った。間近で見たのは驚きのあまり虚勢が一瞬間に合わず、必死に隠していた年相応の顔つきだ。咄嗟に身を庇う腕を掴み、なお暴れる様子だったので捻りあげると、みるみる蒼白になる。しかし、果敢に睨み返してくるのでつい口調が荒くなった。
「此処は死にたがっている人間の居る所ではありません。これ以上抵抗をするのならば放り出しますよ」
全く、痩せ我慢を。続く言葉を飲み込んだのは、手の中に違和感を覚えたからだ。
入隊してからこちら、姉と共に診た数は百はくだらないだろう。その経験が言っている。前腕の薄い脂肪の下にある太い筋骨の感触は─
(まさか、そんな)
自分の目を疑うが、苦痛に歪むのは紛れもなく少女の顔なのだった。
***
「少しお話をしてもよろしいでしょうか」
彼女─もとい彼は紅い月を背負ってきた。何とも不吉な色だ。大き過ぎるのも不気味だ。しかし、追い返す理由にはならない。
あえて戸を開け放し廊下との敷居を跨いで座るのは配慮だろう。自室で夜更けに男と二人きりになるなど、どんな噂が立つかわかったものではない。だが、目の前の少年は以前と変わらず女の恰好をしている。そして周りの彼への認識も依然として『女』なのだ。姉が遺した秘密に倣うのだと決めた結果だった。
「次の任務が終わりましたら…男として生きようと思います」
なのに、少年は随分と勝手なことを言う。姉を、私をもここまで巻き込んでおいて、何を今更。
「女性に近しい存在にして差し上げましょうか。適切な道具できちんと処置をすれば難しいことではありません。さすればその髪飾りももっとよく似合うでしょう。勿論、姉から受け継いだ剣技の方も」
ぱちん、ぱちん。鋏で野菊の余分な葉を切り落とす。姉の霊前に備える為に、美しい姿を長らえる為に。
「怒っていらっしゃいますか」
「いいえ」
「…カナエ様が俺を匿ったのは、俺が隊に入る前に貴女方姉妹に」
「聞きたくありません」
投げた鋏は案の定容易く鞘で払われ、畳の目に刃が突き刺さった。忌々しい程に優秀だ。姉が見込んだだけのことはある。
女のみの戒律を破り、稀代の剣士を育てた姉の目論見が何であるのかは私にとって大した問題ではなかった。発展途上の筋骨、これからまだ伸びるであろう背丈、姉に劣らない華麗な剣技─私が持ち得ない彼の全てに虫唾が走る。この子は才を活かしこれから多くの人を救うだろう。一門としては誇るべきことだ─しかし、私個人の感情は置き去りにすればの話だ。
(姉さん…何故この子のことを教えてくれなかったの)
「私闘はご法度なのでは」
「すみません。手が滑りました」
「………俺は、師範の怒った顔が好きです」
ふざけているのだろうか。射殺すつもりで顔を向ける。しかし、相手は私の視線を受け止めなかった。
「カナエ様がご存命の頃の貴女は、よく笑いよく怒っていらっしゃいました。正義に燃え、お転婆で…カナヲは常に他人事のような顔をしておりますが、貴女方のやり取りをよく見ていた。俺と二人の時に尋ねてきました。『先刻姉さん達は何で楽しそうだったの』と」
月明かりが作り出す戸の影を見つめ、そこに描いたものを語って聞かせる。
蘇る光景は常に日の光の下のものだった。駆け出した先で偶然見つけた花の蜜の匂いまで香ってくる気がして、胸が痛んだ。埋まってしまうのではないかと思う程の花びらにまかれて、皆で掻き分け辿り着いた向こう側には、きっと望む明日があるのだと信じていた。
(泣くな。私に泣くことは許されない─)
「師範が無理して笑わずとも済む世界を、俺が取り戻します」
その言葉に鮮烈な幻から引き戻される。
見顕されてなお少年らしさは皆無だった。ああして接触しなければもう暫く気がつかなかっただろう。姉の不在はこの子の命運までもを狂わせたのだ。高く昇り仄白さを取り戻した月光に照らされた繊細な面差しは、諦めたように肩をすくめる。
「女のふりをしたままの方が師範の傍に居れるのはわかっているのですが…欲目が勝ちました。俺はしのぶ様に男として見て欲しい」
「…正気とは思えません。貴方、頭は大丈夫ですか?」
この時分に色恋沙汰など。ましてや私は更に過酷な修羅の道を行くのだ。ありったけの怨嗟を眼差しに込めたが、少年は怯むことなく「その意気です」と微笑んだ。
「次にお会いする時には、これまでとは全く違う俺の姿をお見せします」
そう言うと私の返事を待たずに風のように消えてしまう。即座に畳から鋏を抜き気配の残る方向に投げたが、弧を描いて飛んでいき、池の脇にぽとりと落ちただけだった。
葦の茂みがさわさわと鳴るのが彼の忍び笑いに思えてそれさえ頭にきたが、憎まれっ子世にはばかると言うではないか。こうして私が腹を立てているうちはあの子もそう簡単には死なないだろう。
「ふざけるな…馬鹿」
***
「お顔を拝見されますか」
筵に巻かれたあの子を前に静かに首を振った。運んできた隠は眉をひそめたが、結局は何も言わずに小さな塊を担ぎ直す。薄情だと思われただろうか。しかしとても直視する気持ちにはなれない。
「せめてこれを」
差し出された髪飾りは私が受け取った途端、翅がぱきんと音を立てて崩れ落ちた。ぱらぱらと四方に散り、尖った破片は私を取り巻く。
これはあの子の心だろうか。それとも私の心なのだろうか。どのみち失われてしまい二度と元には戻らない。残った欠片を握りしめると手のひらを鋭く刺した。
「全て…これからだったというのに」
報告によると、鬼は妖しく光る虹色の瞳を細め「てっきり女の子だと思ったのに」と曰わったそうだ。そうしてあの子は私の怒りの澱となった。
Posted on 2020.12.08
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