鬼の不思議な術によって外見だけ小さな子どもにされてしまった義勇さんは、初めこそ私を驚かせ状況を楽しんでいたように見えたが、それはごくごく短い間となった。
背丈の縮んだ彼の前にまず立ちはだかったのは高く深い浴槽の壁だ。この家の造りは小さな子どもに全く配慮されていない事を悟り、「溺れ沈む自分の姿が見えた」と体を流すだけにとどめる。一人ではお湯を汲むのすら難しい。私の体にもたれる事もなく、終始大人しく洗われていた。
風呂から上がり、家着の袖や裾を折って大きさを合わせてやる。それでも余る布を踏んづけてしまうと危ないので抱き上げて居間に運んだ。座卓に届くよう座布団を何枚も重ねた上に、石鹸の香りのする小さな体を下ろす。
慣れた場所で当たり前に出来る筈の事が成せないのは相当な不満と心労が生じるのだろう。食事の準備を終える頃には、すっかりむくれてしまっていた。引き結んだ唇がへの字を書いている。
「…子ども扱いするな」
箸の代わりに匙を渡したら、微かに怒気をはらんだ高い声が飛んできた。そんなつぶらな瞳で睨まれても少しも怖くないのだが。言われたとおりにいつも使っている箸を差し出す。案の定小さな手には余り、いかにも扱いづらそうだ。
「お手伝いしましょうか」
見かねて声をかけるが「…いい」と、ぶすっと返された。無理矢理かき集めるようにして食べ始める。この際お行儀には目を瞑ることにした。
食後には大分冷ましたお茶を出したが、それでも子どもの舌には熱かったらしい。大人用のぶ厚い湯呑を両手で持ち、ふうふうと雛のように唇を尖らせ息を吹きかけていた。座卓の下で組んだ指がそわそわとする。
その拙い仕草一つ一つが愛らしい。手を貸した上で存分に甘やかし、また甘えて欲しかった。これが母性というものだろうか。
顔に出ないよう気をつけたつもりだったが、義勇さんはこちらを見て何かを察知したようだ。湯呑を置くとそろそろと距離をとろうとし、家着の裾を踏んで勢いよくひっくり返った。ばたんっ!と大きな音が響く。
「だ、大丈夫ですか?」
即座に助け起こし検めた。瘤も打ち身も擦過傷も無いようなので、とりあえずほっとする。体の力を抜き諦めたように私にされるがままになっていた。
衣服を整え直し、より念入りに裾を折っていると解いた髪の一筋をとられる。不思議に思って顔を上げた途端、紅葉のような手に頬を挟まれ、ちうと可愛らしい音を立てて唇を押し付けられた。
「この体では触れる事もままならない」
はあーと溜息をつかれるが、口づけられたこちらとしては喜びよりも背徳感が勝る。感情の行き場を見失い、口に手を当てたまま固まっていると、めき、と太い木の幹が縦に割れるような不穏な音が部屋の中に響いた。出処を確かめる間もなく目の前にいる美しい子どもの背が伸びていく。
常識の範囲であれば十数年は必要であろう変化は、ぎしぎしみしみしという不穏な音とともに、ものの十秒もかからずに成された。折ってなお床を引きずっていた着物の裾はいまや逞しく膨らんだ太腿の中程にある。
「誰かが鬼を斬り払ったのだろう」
低い声でそう呟き、あっけにとられる私に構う事なく、義勇さんは節のはっきりした指一本一本の動きをつぶさに確かめ肩を回す。億劫そうに頭を振り、さらさらと揺れる前髪の間から私を見下ろす視線は凛としていた。子どもにあった丸さや柔らかさは少しも感じられない。
「…今回の件でわかった事がある。貴女は俺を男だと見なしてないようだ」
抑揚のない声に背筋を冷たいものが伝った。思い返されるのは愚行の数々だ。
「可愛い」を連呼し、嫌がる様を気にもとめず非力な体を抱き上げ、膝に乗せ撫でくりまわした上に、冗談半分で近所の子どもの服を借りてこようとした─しゃがんだまま後ずさるが、すぐに何かに突き当たる。見ると食事の為に高く積み上げた座布団だった。
「…穏便に済ませていただけるとありがたいのですが」
「それはこれからの貴女次第だ」
手のひらを見せ降参の意を示す。それを嘲笑うかのように手を引かれ、呆気なくその腕の中に閉じ込められた。そう力を込めている様子はないのにびくともしない。首に熱い息がかかり、調子に乗った報いだと好きにされる事を覚悟した。
「…急ぎの用か」
義勇さんの呼びかけに「文が届いております」と別の声が答えるので驚いた。障子を見ると月明かりに照らされて四角い頭の人の影が映っている。
「─此度の術大変珍しいものと存じ、柱たるもの後学及び後進に尽くすべく可及的速やかに私の屋敷へと」
「わかった。もういい」
隠が読み上げた内容に、「胡蝶か」と耳元で深くゆっくりと息を吐いたのを感じた。帰って来てから何度目の溜息だろう。命を賭した闘いに赴き子どもの姿にされ、散々私にからかわれ不自由を強いられた挙げ句、休む間もなく呼び出されたとなれば無理もないように思えた。
「こ、此度の術ですが夜明けを待たなければ解けない類のもののようで」
肩を掴まれたが、両腕で力の限り背中にしがみついた。震える声で部屋の外に呼びかける。
「明朝私が付き添い馳せ参じますので、今宵はどうか」
「…かしこまりました。そのようにお伝えいたします」
影は瞬時に消えた。緊張の緩んだ体を支えるように強く抱き返される。その手も体も慣れ親しんだままに私よりもずっと大きい。じっとして全身で安堵を味わった。
「…貴女には誰も叶わないな」
その言葉が指すのは胡蝶様の申し出を退けた事だけではなく、小さくなっている間に要らぬ世話を強行し続けた事も含まれているのだろう。押し黙っているとくつくつと笑う気配に、はっとした。覗いた頃には収まったのか感情の読み取りづらい眼が見返してくる。
つい先刻までの目まぐるしい状況の変化が嘘のように静かだった。はらはらさせられっぱなしだったが「たまにはこういう日があってもいいですね」と言うと「二度と御免被りたい」と心底嫌そうな顔をされてしまった。