その1
洗濯物を干し終わって振り返ると、縁側にいつの間にか大きな猫が丸くなっていた。近づく私に動じることなくすっかり落ち着いてしまっていて、いっそ貫禄すら感じる。
「ここの家主は動物が苦手なので、退いていただけるとありがたいのですが」
猫は話しかけてきた私を鬱陶しそうに見やると、大きく欠伸をした。
「う、」
部屋の奥で低い声を発した動物の苦手な家主は、我が物顔で晴れた日の特等席に陣取る毛玉を遠巻きに立ち尽くす。猫は暫く縦長の瞳孔で部屋の奥を眺めていたが、突然体を震わせて立ち上がると一目散に駆けて行った。多分殺気だか闘気だか、その類のものを向けたのだろう。
「大人げないのでは」
「…貴女は舐められすぎだ」
猫が居た所を軽く掃いて座ると、はあぁと長い溜息をついた。そのまま隣に座る私の膝にごろりと頭を乗せ、目を閉じて心地よさそうに日に当たり始めた。肩を撫でる手を取られ、ぎゅうと握り込まれる。
ふと視線を感じて顔を上げると、塀の上で先程の猫がじっとこちらに顔を向けていた。もの言いたげにも思えたが表情からは何も読み取れない。
結構似たもの同士なのでは。本気で嫌がりそうなので、心の中の呟きに留める。膝の上の黒い毛を空いた手でゆったりと梳き、子どものような寝顔を見つめた。
その2
「今度は猫になってしまいまして」
「はあ…」
血鬼術とは何とも多岐にわたるものなのですね、と言うと竈門様は大きな猫を私の腕に渡しながら「そうですね」と苦笑いした。
長毛の黒猫なんて初めて見た。尻尾の先まで彼の髪のようにふっさりと豊かでつやつやだ。瞳孔の透けた真ん丸の瞳がもの言いたげに見上げてくる。
なんて可愛らしい。咄嗟に頭を撫でようと思ったが、失礼に当たると思い慌てて手を引っ込めた。察したのか途端に半眼になり、ひと睨みされた。ぷいと横を向いてしまう。苦手な生き物にされてしまい、この上なく不機嫌なようだ。
それでもそわそわする気持ちは抑えられない。腕の中に収まる心地のよい体温。私の手のひらくらいの小さな頭。先の丸いふくふくの手足。後頭部から背中への曲線は、ひと撫でしてくれと言わんばかりに滑らかだ。ご飯は何を用意すればいいのだろうか。すっかり飼うつもりで備蓄の記憶を辿っていると、警戒するように耳をぴんと張ってこちらを見た。
糸のように瞳孔を細め「アォン」と猫にしては低く太い声で鳴いたが、至極愛らしい。堪らずその毛並みに頬ずりしてしまった。「可愛い〜っ」と竈門様の前にも関わらず、手放しで。鋭い悲鳴を上げるが私の腕の中を抜ける程の力はなく、されるがままに撫でくりまわされていた。
日の出と共に元の姿に戻った彼は「尊厳を損なわれた」といつもに増して寡黙で、その日は一日中口をきいてくれなかった。
その3
路地から飛び出してきた小さな猫は、俺に気がつくと虚をつかれたように澄んだ目を丸くした。そして一目散に逃げ出す。ほっと息を吐いた。生き物は苦手だ。次の動きが読み辛い。
今の彼女の様子はあの時の猫に重なった。渋る俺の代わりに町内の集まりに出掛けてくれたのはありがたいが、また飲み過ぎたのか。油断も隙もない。
送り届けてくれたご老公に謝罪と礼を重ねて引き取る。ふわふわと笑い手を伸ばしてくるので抱きとめると、強く拘束されたのが不快だったのか今度は遮二無二暴れ出した。手を離すと素早く距離をとられるが、足元が危なかっしい。
正直、まいった。あの日の猫のような行動をとる貴女を、生き物が苦手だからと切り捨てられるはずもない。
大人しくして欲しいと嘆願したが、首を振り、ふらふらとしながら更に離れて行った。人に決して懐かない野生動物のようだ。暫く睨み合うが、唐突に膝を折りその場に座り込む。驚く俺を余所にこくりこくりと船を漕ぎ始めた。
ここで寝るのか。慌ててその隣に体を滑り込ませた。くったりともたれかかってくるので、そのまま膝の上に寝かせる。外着だし寝室でもないのが気になったが、下手に起こして先刻の事態を再発させる方が気が引けた。
夜通し眠らないでいるのには慣れている。すうすうと寝息が聞こえた。膝に柔らかな温度を感じながら、穏やかな寝顔を見つめ続けた。