義勇さんちの住み込みさん

冨岡義勇

過去も現在も未来も気にせずに、ばらばらと書きますので読み手様が混乱しないように…!アップ順ではなく時系列でまとめています。
2020年9月11日、web版としては完結しました。

【R18】コンテンツについてはこちらをお読みください。

目次

序章

両片想い期

両想い期

終章

※暗めです

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終章三 朝方のさようなら

「お母さん」

着物を泥だらけにした小さな影が、木刀を片手に小屋の入り口からこちらを覗いている。体は小さいけれどやはり男の子だ。有り余る体力を発散させるかのように物心がついた頃から毎日山に出掛けていた。今や狭霧山は息子の庭だ。私には山の形も木々も同じに見え、方向もわからないので未だに一人では入れない。

「今日も錆兎と真菰に稽古をつけてもらった」
「勝てた?」
「全然。錆兎は強いし真菰は速い」

どちらにも追いつけない、としょんぼりと肩を落とす。顔の泥を拭いてやりながら涙の跡に気がつく。少し泣き虫なところがあるが素直で優しい子だ。

息子の話に度々出てくる錆兎と真菰は一度も姿を見た事がない。霧が出やすく大人でも寄りつかない山に、遊び相手となる年頃の子が二人もいるなんて不思議に思う事もあったが、日々たくましくなっていく姿を見ると良い子達なのだろう。

「錆兎が今日変なことを言ったんだ。俺のお父さんは鱗滝さんじゃなくて『義勇』だろうって」

とうとうこの日が来たのか。出生について明言した事は一度もなかったが、息子の姿形はあの人に瓜二つだ。昔のあの人を知っている人が、そう当たりをつけても不思議ではなかった。「本当?」と子どもらしく首を傾げて尚も尋ねてくるので思わず笑ってしまう。

「本当よ」
「ふぅん…」

不思議そうに見上げてくる。まだ完璧に理解するには幼いだろう。今日はこの話はお仕舞い、と立ち上がり泥だらけになってしまった布を洗おうと背を向けた。

「じゃあ『義勇』はどこにいるの?」

大人のずるさで聞こえないふりをした。年の割に聡い息子は察するものがあったのか、それ以上何も聞かなかった。

***

今朝は一段と濃い霧が出ている。息子は構わず遊びに出掛けてしまい、やきもきしてぼやけた山の影を見上げた。同じように山を見上げる鱗滝さんを振り返り、探しに行くべきかを相談していると「お母さん!」と明るい声が響く。無邪気に駆け寄ってくるのを受け止めた。

「俺、さっき『義勇』に会ったよ!」
「…そんな冗談を言うものでは」
「本当だよ!長い黒髪を括って半分柄の違う着物を着た剣士だった」

まさか、そんな。私の口から義勇さんの風体の話をした覚えはない。誰から聞いたの、と笑い飛ばしてしまうのは簡単だったが息子の真剣な眼差しにすがりたくなった。

「…この子を頼みます」
「霧が深い」
「遠くへは行きません。すぐに戻ります」

鱗滝さんの返事は聞かずに駆け出した。

こんなに必死に走るのはいつ振りだろう。肺と喉が痛くなったが構わずに「義勇さん」と叫び続けた。息子の冗談かもしれない。ただ今日を逃せば次はないと、何かに急かされるままに慣れない傾斜を登っていく。靄の中にぼんやりと浮かぶ木の影を避けて進むと、唐突に開けた場所に出た。

「義勇さんっ…!」

私の声が広い空間に虚しく木霊す。名前を呼ぶのは久方ぶりだ。息が切れて呼吸の度に冷たい空気に体内を焼かれた。傍にあった大きな岩に手をついて体を支える。もう走れない、と座り込みたくなった。

「こちらを向いてはいけない」

今まで全く人の気配がしなかったのに唐突に後ろから力強く両肩を掴まれた。耳元で聞こえる以前と変わらない声はひやりと冷たく、二人の間に横たわった距離を感じる。足が竦んで動けない。あれだけ慣れ親しんだはずの全てを、怖いと思ってしまった。

「…あの子と、話をしたのですか」
「ああ…笑うと貴女に似ている。素直で優しいところも、快活なところも」
「姿形は幼い頃の義勇さんそっくりだって…鱗滝さんが仰っていました」

そうか、と呟く声音が柔らかくなったのがわかった。

ぽつりぽつりと言葉の少ない会話が懐かしく、先刻の恐怖と不安が忽ち温かいもので塗り潰されていく。文のみを残して行ってしまったあの日から、ずっと恋い焦がれてきたものがすぐ後ろにある。なりふり構わずにその胸に飛び込み、力いっぱい抱きしめて欲しかった。

でも今の私にそれはできない。膨らんだ思いを涙とともに振り払う。

「あの子、赤ん坊の時から美しくて。今でも毎日どんどんできることが増えていくんです」

誰よりも貴方に見せたかった、と続けたが声にならずにかき消えてしまう。すぐにでも貴方を追いかけて黄泉へと向かおうとする私の心と体を、あの日も今も現世に繋ぎ留めているのはあの子の存在だ。道は既にどうしようもなく別れていた。残りの人生を貴方に捧げるといういつかの誓いは、結局は嘘になってしまったのだ。

「残してしまい、すまない」
「私こそ一人にしてしまって、ごめんなさい」
「─…愛している」

ぎりぎりの所で留まっていた秤の針が瞬間的に振り切れるのがわかった。勢いよく後ろを向くが、風もなく静かに白い靄が漂っている。

帳のように視界を遮るそれを掻き分けてその影を追いたかったが、背中側で私を呼ぶ声が聞こえて寸出のところで踏みとどまった。それ以上脚が動かないよう、しゃがみ込んで膝を抱える。

「お母さん」

泣いてるの?と小さな顔が心配そうに覗き込んできた。細く軽い体を抱き寄せると、とくとくと心音が伝わってくる。

私が選択を誤らないようその姿を見せなかったのだろう。最後まで寂しくも優しい人だった。

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