蝶屋敷のまかないさん
嘴平伊之助
蝶屋敷に滞在する隊士の食事を作りながら伊之助と恋に落ちる夢話。屋敷の女の子たちとにこにこふわふわ、伊之助と甘酸っぱいお話が中心です。
目次
本編
2019.09.06
蝶屋敷に滞在する隊士の食事を作りながら伊之助と恋に落ちる夢話。屋敷の女の子たちとにこにこふわふわ、伊之助と甘酸っぱいお話が中心です。
2019.09.06
湯気の立ち込めた台所の中は外よりも暑い。小さな窓からはギラギラと夕日が差し、首筋に汗が落ちるさまに、ごくりと喉がなった。
「あら」
こちらに気がついた女はにこりと笑った。長い箸でじゅわじゅわと金色に揚がった山菜を皿に上げながら「今日の夕飯は天ぷらですよ」とのんきに言う。
何だこいつ、なんで俺のことを知ってるんだ。警戒して身構えたが女は気がつかないようだ。柔らかい声のまま「いつも残さず食べてくださってありがとうございます」と、また笑った。
俺の食べる様を見ると大抵の人間は眉をしかめ、時には小言をこぼすが、茶を汲みに来た女はにこにこと「沢山食べていただけて嬉しいです」と笑った。
同じ年の頃なのに妙な女だ。喋り方もむず痒い。へらへらしやがって、弱味噌が。答えずに食べ続けると女は隣の膳の前に移動した。茶を淹れ、隊士に礼を言われると、やはり穏やかに笑みを返した。
「おかわりっ」
二人の間に乱暴に茶碗を割り込ませる。「おかわりですね!」と女の顔がぱっと今日一番に華やいだのを見た。
蝶屋敷を拠点にした任務や鍛錬の合間に台所の見える木の上に陣取る。トントントンと規則的な包丁の音。醤油の匂い。時折聞こえる鼻歌。汗を拭く横顔。俺が見ていることに一度も気づかない。
「あまり邪魔をしてはいけませんよ」
「っ…してねえよ!」
見ているだけだ!思わず振り回した腕をふわりとかわしてしのぶはどこかに消えた。
「伊之助さん?」
勝手口から顔を出した女と目があう。
サッと血の気が引いて一瞬でカッと体が熱くなった。「逃げろ!」という俺と「何であの女相手に逃げなきゃならねーんだ!」という俺が、俺の中で派手にぶつかる。そのせいで足がもつれてそのまま木から落ちた。
「大丈夫ですか!?」
あまりにダサすぎて寝っ転がったまま放心していたら泣きそうな顔で覗き込まれた。乱れた三角巾から鮮やかな黒髪が解放されて風に揺れる。猪の皮越しにそれを見ながら、きらきらの団栗よりもきれいだと思った。
そろそろ昼の洗い物の頃合いか。勝手口から中を覗くとすぐに俺に気づき「今日も空にしてくださってありがとうございます」と手にとった飯びつをこちらに向けた。満足げな笑顔がむず痒くて、それには答えずに手に持っていた袋を押しつける。
「…やる」
「わあ、大きなアケビ」
きらきらとした表情に気をよくして「俺は山の主だから美味いものが採れるところを知っているんだ」と胸を反らす。「すごい!」素直な称賛の言葉にさらに胸を反らす。
「ありがとうございます、伊之助さん」
ぱあっと輝かんばかりの笑顔でまっすぐに俺のことを見た。
「また来ていらっしゃるんですか!」
小さい女が台所の奥で仁王立ちをしキンキンとした声を張り上げた。
「邪魔になるのでもう来ないよう言いましたよね!」
一方的な物言いとちくちくとした気配。ムカッときて声を上げようとすると小さな頭が割って入った。
「違うのアオイちゃん。私が伊之助さんに頼んだの」
「でも洗い物が全然進んでらっしゃらないじゃないですか!」
「もともと手が遅いからそんなに変わらないわ」
トゲのある女の言葉を、やんわりと包むように柔らかく返す。小さい女は言い足りないようだったがむぅと唸って口を閉じた。「洗い物をする間に冷やして、みんなで食べましょう」とその背を押す。台所の奥に消える刹那こちらを振り返る。
まっすぐに立てた白い指を、唇に当てて微笑む顔に心臓がどきりと鳴った。
「最近台所で妙な気配がするそうですね」
隊士の治療の状況と献立をすり合わせる話し合いが終わると胡蝶様がふいに言った。心当たりは一つしかなくサッと血の気が引いた。即座に額を畳に押しつける。
「申し訳ありません!虫がわかないよう食材の管理には気をつけていたつもりだったのですが…!」
「いえ、そうではなくて」
うーん、と胡蝶様は首をかしげて困ったように微笑んだ。
「貴女は心が綺麗なのですね」
意味がわからなくてきょとんとしてしまう。
「嫌がっていないのであれば良しとしましょう。皆にもそう伝えます」
「あの、嫌がるとは」
何のことでしょうと最後まで言わせてもらえなかった。音も無く一瞬で距離を詰められ、胡蝶様の綺麗なお顔が目の前にある。藤の花の匂いが遅れて香った。
「そのうちわかります」
多分、割とすぐに。優しいけれども確信のこもった言葉が私の中にふわりと落ちたのがわかった。
いつものように勝手口を覗くと、奥からちょいちょいと手招きをされた。
「アケビのお礼です」
皮をむかれて差し出された大きな桃。土間に座り込んで夢中で頬張っていると飯時と同じように、にこにこと食べている様を見ているのに気がつく。
「変なやつ」
ずっと見られていることが気恥ずかしくて食べかけの桃を差し出すと、手を添えて躊躇なくかぶりつく。「美味しい」と一層笑った。つ、と金色の果汁が手のひらを伝い肘の方に流れていくのが見えた。着物が汚れる。反射的に腕を掴み、べろりと舐めあげた。
「ひゃっ」
声をあげてパッと一瞬で顔が赤くなった。
近えな。俺が猪の面を外しているからこんなに近く感じるのか。いつもより様子がよく見える。舌と唇に感じるすべすべの皮膚。染まった丸い頬にはうぶ毛が光る。舐めたら桃よりも柔らかくて甘い味がしそうだ。
ざわりと体の奥から湧きあがってくる衝動。身を任せたら楽になるだろうが、同時に失うものが大きいのも理解していた。
ふいに手を離すと、俺に掴まれていた腕を胸元に引き寄せ目を伏せた。今や首まで赤く染まり、混乱と恥じらいの混じった顔は、また俺の奥の方をざわざわとさせる。
「…もう戻る」
猪の面を被り、落とした桃もそのままに立ち去ろうとすると「あ、あの」と細い声が聞こえたが、続きは聞かずに地面を蹴った。甘い果実の香りと手のひらに感じた温かさと柔らかさが忘れられず、ざわざわを押し込めるので精一杯だった。
***
呼び止めて何を言うつもりだったのだろう。足の力が抜けてへにゃりとその場を座り込んだ。すぐ側に食べかけの桃が落ちているのに気がつく。早く片付けないと蟻が来てしまう。わかっているのに足の力が入らなかった。
触れられた腕をぎゅ、と抱きしめる。びっくりした。でも嫌じゃなかった。
至近距離で瞳を覗きこまれて、そんな邪な心を気取られたのではと考えた瞬間一気に恥ずかしさが勝った。
(顔が熱い…)
明日からどんな顔をして会えばいいのだろう。私の素振りは過剰に映ってないだろうか。彼にどんな風に見られているかばかりを気にしているのに気がつき、変に思われたり嫌われたりしたくないのだと悟った。
(私、伊之助さんのことが)
顔を見ることなく数日が過ぎた。飯も変わらず淡々と出てくる。
思考を飛ばすために鍛錬に打ち込むと、面白いほど身体が変わっていくのがわかる。そうして夢中で鍛えた後の動きを止める時間が、とにかく落ち着かない。飯時や布団の中が段々と苦痛になってきた。
目を閉じると思い出すのはあの時の柔らかさや温度だ。もう一度あれが欲しい。あれだけじゃなくて、もっと欲しい。
ざわざわが一瞬で俺を呑み込みかけるが、直後にいっそ泣きそうな顔が浮かぶ。その瞬間冷や水を浴びせられたように体の芯が冷たくなった。それの繰り返しでいい加減おかしくなりそうだ。
ぼうっと夕飯を食っていたらいつの間にか取り残されていた。給仕に来た女達は俺に自分で膳を下げるように言って部屋から出ていってしまう。慌てて残りをかき込むが既に遅く、そのまま放ったらかしにすることも考えたが、しのぶの青筋を立てて笑顔で拳を振る姿がよぎる。せめて台所の入り口までは運ぶことにした。
明かりの落とされた廊下の先で、水音と食器が小さくぶつかる音が響く。静かすぎて自分の気配は消せても膳を置く音までは無理だった。
「い、伊之助さん」
一歩後ろに下がると濡れた両手から雫がぼたぼたと落ちて床に染みを作った。随分な動揺の仕方だ。流石の俺も傷つく。
俺から逃げるように顔をそらすが、その視線が空になった膳に留まると、それまでの動揺が嘘のようにぱっと笑った。
「今日もお残し無しですね。ありがとうございます」
無防備な笑顔に、抑える間もなく衝動が湧き上がった。勢いのまま腕を引く。小さな体は呆気なく俺の腕の中に収まった。合わさった胸からとくとくと心音が伝わってくる。
もっと欲しい。もっと近くに感じたくて猪の皮を投げ捨てる。ぎゅうと力を込めると心音が早く大きく鳴るのがわかった。全く抵抗されないので「このまま食うぞ」と言うとぴくんと小さく体が揺れる。それを同意ととって、耳の後ろの生え際に鼻の頭を押し付けると日なたの匂いがした。
赤く染まった耳朶を食んでいると背後から金切り声が上がる。振り返るといつもの煩い女がわなわなと震えていた。
「信じられないっ。しのぶ様に許されているからって、こんな」
体を離すと、へたりと土間に座り込んだ。支えてやりたかったが煩い女が俺を押しやって駆け寄ったのと、先刻の悲鳴に人が集まる気配がする。もの凄い速さで距離を詰めてくるのはしのぶだろう。どのみち叱られるにしろ、この場は避けたかった。
猪の皮を掴んで立ち去る間際、女の肩越しに目が合った。熱にうかされたような瞳はまた俺の奥をざわりとさせる。
強くなること以外に夢中になれる日がくるとは思ってもみなかった。思わず口元を緩めると、向こうもにこりと微笑んだ。
Posted on 2019.09.06
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